Critical Space Archive

岡崎乾二郎【見ることの経験】
「ブランカッチ礼拝堂」の謎解き
 「ブランカッチ礼拝堂」の壁画は、ブルネレスキの親友というか彼の教えたマサッチオとマゾリーノの共同制作として始められ、その後マサッチオの謎の死によって一時中断されます。さらにパトロンであったフェリーチェ・ブランカッチが反逆者とされフィレンツェを追放されてしまうのですが、そのあおりを受けて壁画の一部が損傷させられる。その修理を含めて最終的には、フィリッピーノ・リッピの手によって60年後に完成した。このように、複数の画家たちによって描かれているために、誰がどの部分を描いたのかという議論がいまだに続いています。複数の人間が描く複数の画面という面だけ見ても話題の尽きない作品です。
 「ブランカッチ礼拝堂」の壁画は同じくフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂に、やはりブルネレスキの関与によってマサッチオが描いたと語られている「三位一体」と同時期に制作され、当時は「三位一体」よりはるかに賛美されていたのにもかかわらず、この絵は明確な評価というものが必ずしも十分には与えられていません。アダムとイヴの「楽園追放」の場面の迫真性が賞賛されたりはしますが。僕も始めてそれを見た時、あまりに素朴に見え、正直そんなにいいとも思わなかったことを覚えています。僕自身それまでのその絵に対する解釈によって妨害されていたのかもしれません。しかし、その後何度か足を運ぶうちに見え方が変わってきた。
 「ブランカッチ礼拝堂」壁画は表向き、複数の画面が、漫画のコマ割りあるいは鳩小屋のように積み重ねられて描かれ煩雑に見えます。この方法は当時すでに時代遅れになりつつあったとさえゴンブリッチなんかは書いている。一壁面に一画面という原則にやがて画家たちは従うことになると。けれど、この壁画を見えにくくしているのは、まさにそうした規範が先入観として妨害するからです。
 礼拝堂の中に実際に身を置く時、つまり互いに向き合って左右に配置された二層の壁画群の中に身を置いてみると、そこで、われわれに可能なのは、漫画のようにその都度個々の画面を一つひとつ見ていくか、あるいは正面を向いて、左右に展開する画面をまったく見ないかのいずれかでしかない。つまり煩雑な印象はないのですね。視覚はその都度、視るべき対象を単独で取り出して視るわけですから。
 ある時、こうして、そこに立っていて、それらはばらばらに分離した画面なのではなく、互いに対応しあって、二枚の向かい合う壁を合わせるとぴったり重なってしまうにちがいないという直感がした。もちろん、これはブルネレスキの例の装置のことが頭にもあったからでしょうが。
 この壁画の解釈を語り始めると限られた紙面ではとうてい無理なので、おおよそだけ説明しておきましょう。
 「ブランカッチ礼拝堂」壁画は、聖ペテロ伝を題材にした連作で、正面祭壇をはさんで祭壇に隣接する左右の壁画、また礼拝堂左右の壁面、さらにはそれに隣接する左右の柱の壁画から構成されています。たとえば、その左壁面の上段に「貢ぎの銭」と題された壁画があります。ここには魚の口を開いているペテロが描かれています。普通にみると上手いとはとても思えない不自然な描写ですが、解説書などにはもちろんそんなことは描いてなくて上手いとさえ描いてある。未熟だと書いてあるものもあります。
 当時の絵画は今のように個人的なものではなく、もしも失敗などしようものなら簡単に失脚させられてしまうような状況下で画家は制作していました。それこそ自動車やロケットをつくるような厳しい製品検査を受けていたはずです。そういう状況で未完成に見えるものが描かれていたとしたら、これはかならず何か意図があったと考えるべきです。描き損じがそのまま残っているというのは、それ自体一つの意味をもっていると考えた方がいいのです。それはセザンヌだろうとマチスだろうと同じで、下手だと思えるところはどんなものでも何かそこには意図があって、あえて残したと見るべきです。僕自身そうやって作品をつくってきましたから、それは自信をもっていえます。
 そうすると、そういうものがなぜ残っているかということになるわけですが、全体の調子と明らかに異なるように描かれた場面があるとすれば、それはこちらがそう見なしているものとは異なるものが描かれていると考えてみる必要がある。言い換えれば、ちぐはぐに見えるというのは、あらかじめこう見たいという一種の先入観があるからです。その先入観がそこに描かれているはずのもう一つの別の意味を隠してしまうのです。たとえば「貢ぎの銭」の後景には、枯れ木がやはり不自然な配置で描かれています。この箇所だけ見ていると気づかないのですが、ひとたび「ブランカッチ礼拝堂」全体の構成から捉え直してみると、この木はまったくちがう意味をもってくることがわかる。あるいはペテロと収税吏が手を交わしている下に、打ち込まれた不思議な木の杭。こうした奇妙な細部こそが全体に隠された構造を探すための手掛かりになるのです。
 この壁画の連作で構成上最も大きな役割を果たしているのは、向かい合った左と右の壁画に描かれた四枚の画面です。左壁上段には先ほど述べた「貢ぎの銭」その下に「テオフィルスの息子の蘇生と教座のペテロ」、また右壁上段には「足萎えの治療とタビタの蘇生」その下には「魔術シモンとの議論とペテロの磔刑」が描かれている。先ほども言いましたが礼拝堂の中に身を置くことは、この左右二枚の壁に挟まれた空間に身を置くことです。その時の感じをいえば、眼は正面を向いているのでちょうど左右の耳の外側を包み込むように視野が広がる感覚です。そうすると、向かい合う左右の画面が互いにぴったりと対応しているという感触をいやがおうにも感じさせる。このまま壁の間の空間を狭めていくとどうなるか。ついに二つの壁画が重なってしまう状態をわれわれは容易に想像できます。それは左右の壁画が鏡像反転し重ね合わされた状態であり、その直感にしたがってコンピュータ画面上で実際に確かめてみると、まさしくブランカッチの左右四つの壁画はすべて一つの壁画として重なり合うことが確かめられたわけです。
 左壁上段の「貢ぎの銭」の跪いたペテロの姿勢は不自然で稚拙にさえ見えると言いましたが、確かに「貢ぎの銭」だけを見ていればそう見えてしまう。しかし、その不自然な姿勢は、右壁上段の「足萎えの治療とタビタの蘇生」に描かれたタビタの奥に座る二人の女性との関係で見ると、まったく異なるものとして現れる。「貢ぎの銭」のペテロの右足は、「足萎えの治療とタビタの蘇生」に描かれたタビタの奥の右端の女性の肩の線に一致し、ペテロの左側に意味もなく置かれた布は、その左隣の女性の肩にかけられた布の輪郭にまるで嵌め絵のようにぴったりと一致してしまう。そして驚くべきことにこうした対応関係は、この左右四つの壁画のいたるところに発見できるのです。しかも、すべての画面は基準となる比例関係によって厳密に配置されている。「貢ぎの銭」のペテロの後ろの四本の枯れ木の配置は確かに不自然な間隔で並んでいます。この部分だけ見ればきわめてバランスを欠いた構図になっている。ところが四本の枯れ木の間隔は、正確に2:1:3になっていて、この枯れ木の間隔がすべての画面を貫く基準になっていることが確かめられる。
 こうして次々と調べていくと、予想をはるかに超えた、さまざまな一致が確認できて、はっきりいって、ちょっとオカルト的で、怖くなってきたくらいですね。

……コンピュータを使って描くのであればそれはたやすくできるでしょうが、今から500年も昔にいったいどうやってそれを描いたんでしょうか。鏡像ぐらいならそれこそブルネレスキの装置を使えば簡単に描けそうですが、それがさらに左右ひっくり返っていたりするわけでしょう?

 おっしゃるとおり、鏡像反転によって、ぴったり重なる関係というのは、ブルネレスキの方法を考慮すれば、容易に推論できるものです。そして、これまで多くの研究者がこのことに気づかなかったのも、鏡像反転という関係が、たとえば画集で紹介されているように、そのまま横に並列して比較しても決して現れないからでしょう。
 しかしそれにしても、さすがに細部の襞にいたるまでの正確な対応は、この壁画がフレスコ画という技法によることを考えると、かなり困難な仕事に思えます。ではなぜそんな手の込んだことができたかということですが、じつはそう難しくない方法でそれができる。カルトーネという実物大の下絵を用いて描く技術が、それを可能にしたのです。それまではフレスコ画は通常、下地壁の漆喰の上に直接下絵を早描きするやり方、シノピアという方法がとられていました。それに対して、紙に原寸大で精密に描いた素描を下絵として壁に貼り付け、その下絵に沿って針を通し、漆喰に絵柄を転写する技術が開発される。これをフレスコ画の歴史上、最初に用いたのがマサッチオとされています。僕はたぶんこれもブルネレスキの考案によると考えているわけですが。
 この技術が注目に値するのは、画像がもつ裏と表の区別を消去してしまうことです。これを用いれば、裏と表から描いた画像を重ね合わせることも、壁に既に描かれた画像をトレースし、左右逆転して他の壁に転写することも簡単に行うことができます。マサッチオとマゾリーノは、一枚の下絵を裏表に位相の異なる場面を同時に重ね合わせながら描いていけたのであり、また60年後のフィリッピーノ・リッピがそれを容易に転写することができたことも、十分考えられます。
 ロンドンのロイヤル・アルバート・ミュージアムにラファエロのかなり大きなカルトーネが残っていますが、このタピストリーのために描いた下絵でも、タピストリーの実物とカルトーネでは、面白いことに左右が逆転しているんですね。

※ この論文は長文のため、以下テーマごとに分割しました。続きは[NEXT]ボタンでご覧ください。
▼ 見ることの経験 <序>
▼ 透視図法とはなんだったか
▼ 変換装置としての知覚
▲「ブランカッチ礼拝堂」の謎解き
▼ ルネサンス再考
▼ ビザンチンの遠近法
▼ 絵画、両立しない複数の空間が出会う場

swf「ブランカッチ礼拝堂壁画レイヤー解析SWF」サンプル版

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