超自我と文化=文明化の問題

フロイトは第一次大戦後の一九二〇年に『快感原則の彼岸』を書き、そこで「死の欲動」という概念を提示した。その後、一九二三年に「自我とエス」という論文で、超自我という概念を提示した。これに該当する概念は以前からあった。『夢判断』(一九〇〇年)でいえば、夢の「検閲官」である。それは、親を通して子供に内面化される社会的な規範のようなものであった。しかし、「自我とエス」という論文で明確にされた「超自我」は、それとは異質である。検閲官が他律的であるのに対して、超自我はいわば自律的、自己規制的なのである。
こうした自律的能動性は、『快感原則の彼岸』では、外出した母親に置き去りにされた幼児が母親の不在という苦痛を反復的に再現して遊びに変えてしまう例においても示されている。この例はすでに自律的な超自我の働きを暗示するものだ。しかし、超自我のこうした性質は何よりも、「ユーモア」という論文(一九二八年)において端的に示されている。フロイトによれば、ユーモアとは、超自我が苦境におかれた無力な自我に「そんなことは何でもないよ」と励ますものなのである。
「文化と文明」というドイツ的区別を斥けたフロイトにならって、私は文化=文明化とみなすが、「検閲官」とは、文化=文明化の抑圧的な機能を意味している。しかるに、フロイトが「超自我」と呼ぶものは、文化=文明化の効果を肯定的に見るものだ。それは欲動を自己規制する能力なのである。フロイトはそのような見方を「文化への不満」(一九三〇年)において示した。一九二〇代から三〇年代にかけて、文明の抑圧に抗して、自然に帰れ、生命に帰れという風潮があった。それはドイツではワイマール体制の否定を意味し、事実、それがナチズムの支配に帰結したことはいうまでもない。それに対して、フロイトは、文明が抑圧であることを認めつつ、しかも、そのような抑圧が不可欠である所以を説いた。このとき、彼は超自我に肯定的な意味を与えたのである。
このように、「快感原則の彼岸」以後のフロイトの考えは、初期のものとはまるで異なるようにみえる。しかし、よく考えて見ると、それは前期の考えを根本的に逆転したとはいえない。というのは、フロイト的な精神分析が出現したときにも大きな逆転があり、それはあとで述べるように、「快感原則の彼岸」における逆転と同じ方向に向かっているものだったからである。
最初の逆転は、『ヒステリー研究』(一八九五年)で、ヒステリーの原因を性的外傷――つまり、大人側の誘惑による――に見出していたフロイトが、一八九七年に、そのような考えを否定したときに起こっている。新たな見方によれば、患者が記憶している外傷的体験は、患者が事後的に作り出したフィクションである。そのような記憶が隠蔽するのは、子供時代に自らが欲望を実現しようと能動的にふるまったという過去である。
いうまでもなく、フロイトがエディプス・コンプレクスという概念を提起したのはこのときである。同時に、彼は性的欲動(リビドー)という概念を提起した。これは人間がリビドーに従属するということを意味するものではない。その逆である。フロイトは、子供は意識的主体(自己)ではないが欲動の主体として能動的であるということを強調するためにこそ、リビドーという考えをもちこんだのである。つまり、それは意識的な主体がない次元に、人間の主体性を見出すためであったといえる。
「死の欲動」という概念が導入されたのも、同様の理由からである。その意味で、これは、前期の考えの逆転というよりも、それを拡張したものであると見なすことができる。実際、フロイトは「死の欲動」といい始めてから、性的リビドーを「生の欲動」と言い換えている。したがって、「欲動」という概念は、意識的でない次元の能動的主体性を保証するものとして提起されたのである。たとえば、ユーモアにおける超自我は、自発的・能動的に働くのであるが、意識的なものではない。もし意識的なものであれば、それはユーモアではなく、イロニーや負け惜しみになってしまうだろう。
こう考えると、次のことが明らかとなる。超自我は「死の欲動」という概念の結果として考えられたのではない。逆に、欲動を自己規制するような自律的な超自我を説明するためにこそ、フロイトは「死の欲動」を想定したのだ。それによって、攻撃性は「死の欲動」の一部であると考えられる。そして、攻撃性を抑えるのは(内に向けられた)攻撃性である。そうだとすれば、攻撃性を抑制することは不可能ではない。そして、それが文化=文明化にほかならない。一言でいえば、文化=文明化とは、攻撃性を自己抑制するような社会的装置である。
ところで、このような文化=文明化の過程に関しては、ノルベルト・エリアスの考察が示唆的である。彼はフロイトの影響を受けたというが、フロイトとは違って、文明化がもたらす問題を社会学的な観点から考えたのである。エリアスは、ナチズムが席巻した一九三〇年代に、西ヨーロッパにおける「文明化の過程」を、礼儀作法をふくむさまざまな角度から詳細に考察した(『文明化の過程』)。たとえば、一五・六世紀ぐらいまで、人々は粗暴ですぐに喧嘩し殺しあうことが多かったが、次第に、攻撃的な振る舞いが無くなっていった、と彼はいう。それは、暴力を独占した絶対主義王権国家によって禁じられたからだけでない。攻撃性を自己抑制することが支配階級(貴族)のノーブルな特質であるとみなされたからである。文明化とは攻撃性をたんに規制するだけでなく、それを自己規制できるということに存するのである。
ここから逆にフロイトに戻ってみると、彼が超自我に関して考えたことが、実はそのような問題にかかわっていることが明らかとなる。すなわち、自発的な抑制がどうして可能なのかという問題である。たとえば、親は子供に攻撃性を抑制するようにきびしく暴力的にしつけることができる。しかし、それはしばしば暴力的な人間を育てることになる。逆に、フロイトが述べたように、寛大な親に育てられた子供が強い倫理感(超自我)をもつことがある。彼はそれを「死の欲動」から説明した。
しかし、この場合、寛大な親は子供を強制しなかったとしても、たとえば、自己抑制ができないのは恥ずかしいということを、身をもって子供に示すことによって、超自我を与えたのだといえるだろう。この点で、フロイトが初期の考えを修正して、子供の超自我は親そのものではなく、親の超自我を規範として形成されると述べたことは、さまざまな点で重要である。親が攻撃性を自制するような超自我をもつとき、それは子供に伝わる。また、ここから、超自我が個人だけでなく集団にもありうるということができる。
ただ、攻撃性の抑制は一国の中では可能だとしても、国家間においては難しい。つまり、戦争という問題にかんして、人類はまだまだ文化=文明化の段階に達していないのである。もちろん、第一次大戦後の国際連盟や第二次大戦後の国際連合のような国際機関が育っている。しかし、それでも戦争を廃棄することはできない。フロイトは一九三三年に、どうすれば戦争を廃棄できるかというアインシュタインの問いに答えて、戦争を抑制するためには、各国の主権を制限する国際連邦を形成するだけでなく、人々が戦争行為に嫌悪を感じるような文化(文明化)の過程が不可欠である、と述べた。
 
戦争への拒絶は、単なる知性レベルでの拒否、単なる感情レベルでの拒否ではないと思われるのです。少なくとも平和主義者なら、拒絶反応は体と心の奥底からわき上がってくるはずなのです。戦争への拒絶、それは平和主義者の体と心の奥底にあるものが激しい形で外にあらわれたものなのです。私はこう考えます。このような意識のあり方が戦争の残虐さそのものに劣らぬほど、戦争への嫌悪感を生み出す原因となっている、と。(「ヒトはなぜ戦争をするのかーアインシュタインとフロイトの往復書簡」浅見昇吾訳)
 
戦争は残酷で罪深いという人は多い。しかし、それをいいすぎることはかえって、戦争は快楽だ、戦争はヒロイックだという反撥を招くことになる。戦争を拒絶するのに必要なのは、罪の感情よりも恥の感情、つまり、そんな下品で野蛮なことはしたくない、という嫌悪感なのである。さらに、フロイトはこのような「文化の発展」によって、戦争を廃棄しうるような社会に達することは可能だと述べ、つぎのように締めくくっている。《どのような道を経て、あるいはどのような回り道を経て、戦争が消えていくのか。それを推測することはできません。しかし、今の私たちにもこう言うことは許されていると思うのです。文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩み出すことができる!》(同前)。