長池

 私は十年近く関西に移住していたが、二〇〇七年に東京に戻ってきた。教職を隠退したからだ。東京に戻るにあたって、私は当初、以前に住んでいた都心のマンションのようなものを考えていた。が、ある縁で、八王子市の別所、というより、長池の畔に引っ越した。私がそこを選んだのは、長池の景観に魅せられたからである。
 私が先ず驚いたのは、巨大な鉄製アーチ橋と、その下に広がる貯水池である。なぜここにこんなものがあるのかと、目を疑ったほどだ。この長池見附橋は、一九七四年に解体された四谷見附橋が移転されたものである。もとの見附橋は一九一三年に創建され、近代日本の建築史に残るものであった。さらに驚いたのは、この橋の彼方にある長池公園である。これは見附橋とは対照的に、古くからある池である。豊かな湧き水があるため、農業用水として使われてきた。戦国時代に、浄瑠璃姫が入水したという伝承があり、近くの蓮生寺(れんしょうじ)にはその碑がある。長池の周囲には、里山の雑木林が保存されている。その中で坂を登ると、深山にいるような気がする。
 私は長池を見てすぐに引っ越しを決めた。そして、歩いて一分ほどの辺りに住み始めた。私は毎日散歩するだけでなく、写真をとりはじめた。新緑の長池、雪景色の長池、水上のカルガモ、……。私の生涯でこんなことは一度もなかった。私は長池への“恋に落ちた”のである。そして、恋する者は、それを黙っていることができない。人にそれを見せたいと思うものだ。
 
私は中上健次の死後、彼が作った「熊野大学」のためにほとんど毎夏新宮に行っていたが、そろそろやめたいと思い、一緒にやってきた友人の物書きを家に招いて協議した。その際、皆を長池に案内したのはいうまでもない。そのとき、浄瑠璃に凝っていた、いとうせいこうが、長池の浄瑠璃姫の伝説に気づき、因縁の深さを強調した。私はふと、「熊野」のかわりに「長池」で同じようなことをやればいいのではないか、と思いついた。そして、長池の畔にある「長池公園自然館」の会場を借りて、無料の公開講義を始めることにした。私はそれを「長池講義」と名づけた。もっと交通の便のよい場所のほうがいいに決まっているのだが、私がここを選んだのは、むしろ人に長池を見せたかったからだ。
 二〇一一年三月十二日に長池講義が予定されていた。その前日に大地震があったので、キャンセルしようと思ったが、もう遅い、来た人だけでやろうと思ったら、参加者はそんなに減らなかった。電車がふつうに動いていたからだ。しかし、参加者の一人から、福島の原発事故でメルトダウンが起こっているという話を聞いた。前日からの報道とはまるで違う、深刻な事態である。講義のあとも飲み会で、どうすべきかを話し合った。新聞・テレビなどの情報は信用できなかった。以後、メーリング・リストによって情報を交換することにした。それから一月もしないうちに、みんなでデモに行くことに決めた。「長池評議会」を結成し、ノボリを作った。当面、「長池講義」は開かない、「長池抗議」をしよう、ということにしたのである。