K・A・ウィットフォーゲルの東洋的社会論

石井知章 著

 中国や北朝鮮の現状を見るとき、清朝や李朝に似ていると思う人が多いだろう。しかし、マルクス主義者による革命から、なぜそんなものが生まれてきたのだろうか。それはマルクスのせい、では毛頭ない。マルクスは「アジア的生産様式」について考えていた。それは専制的な国家体制と、それに隷属する農業共同体を意味する。このようなマルクスの考えに忠実であったプレハーノフは、ロシアのようなところで、権力奪取と土地の国有化を強行すれば、「アジア的」な専制国 家に帰着してしまうほかない、と批判した。しかし、レーニン・トロツキーからスターリンにいたるまで、マルクス主義者はそのような意見を斥(しりぞ)け、あげくに、「アジア的」という概念そのものを廃棄してしまった。しかし、彼らの社会体制はまさに「アジア的」な形態に陥ったのである。
 その中で、もともと中国学者であったウィットフォーゲルは、「アジア的生産様式」という概念を保持し、それをいっそう広く深く考察した。そして、大規模灌漑(かんがい)にもとづく古代国家体制を、「水力社会」と名づけた。そのような人が、ロシア・マルクス主義者によって「反共」思想家として葬られたのは当然である。しかし、彼はなぜか一般に敬遠されてきた。マルクス主義の権威が崩壊したのちも、まともに評価する人は少なかった。日本でも、湯浅赳男がいた だけである。
 ウィットフォーゲルは晩年も厖大(ぼうだい)な著作を残したが、すべて未出版にとどまった。本書で、著者は、未公開の文献を渉猟し、その上で、彼の理論をより一貫した説得的なものにしている。さらに、中国と北朝鮮において、「アジア的」なものがどのように復古してきたかを詳細に分析している。これはかつて類のない考察である。また、文化革命後の中国で、ウィットフォーゲルが翻訳され注目を浴びたが、天安門事件以後禁圧され、最近また少しずつ見直しが起こっている、といった経緯が興味深い。“ウィットフォーゲル”は中国という社会の現状を示す指標となっている。

柄谷行人 |2008.6.22 |朝日新聞 書評欄掲載