 |
『週刊読書人』の大杉重男の一文、およびそれを受けた浅田彰からの「呼びかけ」につき(Web には3月26日に接した)、取り急ぎ。現下の事情により、わたしに係わる複数の事柄すべてをこの場に詳述することは出来かねるので、要点のみ以下に走り書きすることを許されたい。 |
|
I このWeb 上での高橋源一郎と 秀実の「論争」。――これじたいにかんしては、「アルツハイマー」の一語を(侮蔑と差別、すれすれの相違において)用いる点の危うさを除き、わたしは に強く一票を投じる。他人の作品をなめてかかり、時に肝心な事から目をそらす仕草が演出する「優雅で感傷的な」現代詩風味!? 高橋源一郎において、この通弊はいまや、端的に頽廃的な「転向者」の情緒をまき散らしている。この点は、別例とともに指摘した小文(『早稲田文学』三月号)を参照されたい。ただし、「業」ともいうべき(ゆえにいっそう警戒を要する)この作家の力量について、わたしは 秀実とわずかに見解を異にする。『日本文学盛衰史』は、浅田彰が青山真治らにからめて指摘する昨今の「天皇小説」ばやりとも、必ずしもまったく同列には論じられないと思っている。
|
|
II・1 右にいう別例を「さも重大そうにあげつらっている暇があったら」すぐさま 秀実と論争せよ、それをせぬまま小著『不敬文学論序説』に加えられた批判への「黙殺の暴力」に徹するなら、「俗情との結託」としてこれを指弾するという大杉文について。―― の批判をこれまで「黙殺」したわけではない。『批評空間』の座談会でも意見を交わしあっており(第II期・24号)、その背後に の影が色濃く漂う大杉重男じしんの小著批判にも、わたしとしては異例の枚数を費やして答えている(『早稲田文学』2000年3月号)。むろん、後者には の名を記していないし、前者でも互いの「相違点」を十分につめてはいない。その後、『「帝国」の文学』出版時点で反批判をするつもりでいたが、大小いくつかの理由からいまにいたっている。みずから名乗り出た書評を「お二人では余りに近すぎるから」と言下に断られたという、唖然たる事実その他をふくむ小さな理由は割愛する。今日まで の新作について語らずにいる最大の理由は、高橋と の応酬の核心をなす同書の一文「漱石と天皇」を読んで、会心の思いをたぶん誰よりも強くいだいたのが、当のわたしであったからだ。大逆事件につき漱石は沈黙を守ったという定説にたいし、わたしは『こころ』に書いてあるではないかと言い出し、これをいわば否定的媒介として、 は、いやもっと前、事件と同時期の「思い出す事など」に記している事実を論証したのだ。わたしの「K=幸徳秋水」(=管野すが子=桂太郎)説はしかも、一九八九年(!)に発表された の一文「消滅する象形文字」(『日本近代文学の<誕生>』所収)における「K=キング」(=夏目金之助)説の書き換えなのだ。大局からすれば、われわれはつまり、予期もせぬ十年がかりで「国文学界」の定説を打破したことになる。その最終的な功績が にあることはいうまでもないのだが、「結託」ならぬこの「連携」の今後ありうべき効用に比べれば、互いの観点、分析手法の相違をみずから言い立てるほどのことはあるまい。それが、折から「六十八年」の小説論に着手没頭し、今もしつつある者の判断であった(この点、 の「新説」にたいする研究者の「黙殺」ぶりを、わたしは文字どおり我が事として憤ってもいる)。
|
|
II・2 とはいえ、この間、わたしと 秀実の「相違点」がかつてなくあらわになったのは確かであり、それが応分の意義をもつものとして大杉・浅田両氏の眼に映じたとすれば、二十年来、先の編集者のような台詞を訊かされつづけた身に、事態は一種望外の成りゆきに類する。同時に、大西巨人の野間宏批判に容喙する宮本顕治の言葉(「野間をいまけなすのは運動上、政治的にも文学的にもまずい」)と共に、大杉文が、われわれ両名にみる「ポストモダニズムの党派性」を批判する点も、わたし一個においては、傍目にそう取られて仕方ない面をもってもいる。わたしとしては、図らずもまた同時期に同じ「六八年」問題に転じた互いの連続稿(『早稲田文学』誌上における の連載は『革命的な、あまりに革命的な』)にめどが立った時点で、この間の事柄もふくめ と改めて意見を交えることを考えていた。実際、『群像』誌上の小文は、『不敬文学論序説』ではあえて回避した次元から、いま一度「天皇と文学」を問い直すための新たな基礎の模索をも兼ねているはずだが、誤解はすみやかに晴らすほうが良いのかもしれない。可能な限り近い機会に、『「帝国」の文学』への反論をなすことにしたい。 |
|
II・3 そのさいのポイントとして、現時点で 秀実の批判にいだく所見のいくつかを以下に略記し、浅田彰の「呼びかけ」にたいする当座の応答に替えたい。 |
|
a 「天皇」を呼び込む観点手法がはじめから異なっていること。たとえば「王の首はいつもすでに切られている」という の観点(『批評空間』同上)の抽象性に就くと、具体的な描写対象としての「天皇」と「小説」との(没)交渉をめぐる小著は成立しない。わたしはひたすら、「天皇」とこれを描く言葉そのものとの関係を問い、 は、「天皇」なる観念の文学への投射性に主たる焦点をあわせている。 |
|
b ラカン―ジジェク的なその観念性にたいする反批判。たとえば、「部落民」も「天皇」も「伝統」も、「小説」も、その「口絵」も、「女」も、「女」のなかの一個人の「鼻」や、「蒲団」の染み滲みまでが、すべて「対象a」(或いは「もの」)に回収されてしまうことが、どこまで説得力を持つか。『「帝国」の文学』の「対象a」にかぎらず、いつからか、 の作品分析には、次元のことなるさまざまな要素を、「急進的レヴェラー」たる貨幣のごとく媒介するキーワードの偏重が目立つようになった点の当否。その観念性が具体次元に交わる場合、しばしば腑に落ちかねる飛躍がなされること(たとえば、前著『日本近代文学の<誕生>』から本書にも踏襲される<「である」体/「た」体>をめぐる分析)。 |
|
c ラカン―ジジェク流の「享楽」「享受」そのものの反動的側面。「六八年」について の強調する「無責任」は、ほんらいこれと背馳する。「六八年」的主体はむしろ、「外の思考」のフーコーがいう「無頓着」な熱望とともに不断に仮構され、『アンチオイディプス』の著者たちによれば、そのつど「消費」されるものだったのではないか(この点の議論の前提としては、『群像』2001年12月号の大江論と、近々同誌に発表予定の中上論―目下執筆中―を参照されたい)。 |
|
d 付けて大杉重男ともどもへ。 が取り出した漱石の「思い出す事など」が「黙説法」にあたるとしても、時代の制約を不当に軽視してことの是非を裁断すると、かつての「花田・吉本」論争における吉本隆明と近似した位置にたつことになるが、 秀実は、「論争」の敗者と目されたまさにその花田清輝の擁護から始めた批評家ではないか。 |
|
*なお、上記が実際の反論文作成過程において、変更もしくは変奏される余地が残されていることは断るまでもないが、そのさいに以下の2点には触れぬ可能性が高いので、付記としてこの場から、今回の大杉文の一部につき反論を呈しておく。 |
|
すなわち(1)、大杉が「さも重大そうにあげつらっている」という『早稲田文学』の小文は、辻仁成の短編「君と僕のあいだにある」(『新潮』2001年11月号)が、村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』の第一話「UFOが釧路に降りる」の限りなく「盗作」に近い作品であることを指摘し、この作品を称賛する高橋源一郎を批判したものだが、大杉は実際に問題の二作を読み比べた上で、この言をなしているのか。読んだうえでわたしの「こそ泥」指摘を肯定しているのか、否か。かりに肯定したとすれば、そのうえで、わたしの指摘をなお、「さも重大そうに」と書いているのか。かつての立松和平の依然として釈然とせぬ現状ほどではないにせよ、この種の「パクリ」を黙って通用させて(目下のところ、辻からも高橋からも、小文への反応を見ない)しまうことのほうが、わたしと の「論争」以上に「重大」ではないのか? |
|
(2) 大杉への反論を『早稲田文学』に掲げたしばらく後のことと記憶するが、大杉は『群像』誌上で川村湊と対談し、大杉の昨今の発言から推して、みずから敵対せんとするかにみえる悪しき「文壇」の、その体現者のひとりともいえる対談相手が、 秀実にかんし、あれはただ騒ぐのが好きなだけの存在にすぎない、といった主旨の発言をしたさい、これにたいし一言も異義を呈していなかったはずだ。「論争」一般の消滅を批判する今回の一文の主旨からすれば、「文壇」に自足しきった川村のその発言は、大杉じしんに訪れた「論争」の絶好の機会だったのではないか? 手元に資料が見当たらないままで申し訳ないが、これはわたしの記憶違いか。記憶違いでないとすれば、その理由は何か。以上、この記事に目が止まったら、(1)については是非とも、(2)は随意に、応答してもらいたい。そうしてもらえると、こちらも、 秀実への反論を、よりすっきりとした形で考えられるので、この場から「呼びかけ」ておきたい(上(1)にさらに付随して、小森陽一に対する浅田彰の「呼びかけ」にも賛同する)。 |
|
III 「渡部直己流の天皇論を安直に応用した作品」の流行については、個々の作品評価の微差はおき、浅田彰の指摘に全面的に同意する。小著は確かに(とりわけ筒井康隆への批判を軸に)、現代の作家たちにたいし、「タブー破り」を使嗾する側面を(「天皇」を書きさえすれば良い作品が出来るわけではない、という当然の判断と共に)隠してはいない。それがなんであれ、「タブー」はたんに破ぶるに越したことはないと思っているからだ。だが、かかる「挑発」に乗るか否かは、作家の、これも当然の自由である。かつ、かりに乗るとすれば、浅田もいうように、こちらの虚を衝き、深くたじろがせ、さらにはネタ本それじたいに深刻な修正もしくは瓦解を迫るような作品でなければ、作家と批評家との真に生産的な関係は生じまい。これにかんしても、先に一言するように、高橋の『日本文学盛衰史』、および島田雅彦の『彗星の住人』の続編が断たれている現状などとあわせ、責任上(?)いずれ語らねばならぬのかと思うと、いささか気が重い。
|
|
追記
上文に予告した 秀実への「反論」(約40枚)を脱稿、本日(5月18日)わたしの手元を離れたので一報し、『早稲田文学』7月号(6月上旬発売)の参覧を願っておく。 |
|
※ このテクストには以下レスポンスが付いています。
▼ 夏目漱石という「俗情」
− 秀実と高橋源一郎の論争について/大杉重男(2002/03/25)
▼ Re: 大杉重男に同調して討議への参加を呼びかける/浅田彰(2002/03/22)
△ Re: 大杉重男と浅田彰の「呼びかけ」に接して/渡部直己(2002/03/28)
▼ Re: 辻仁成など知るか―渡部氏への応答/大杉重男(2002/05/11)
▼ Re: 編集部への返事/佐藤泉(2002/04/25)
|
|