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私は「批評空間」編集部から渡部氏への応答を求められた時、すぐに書いてもいいが、論争をより広がりのあるものにするために、佐藤泉氏や石原千秋氏、更に小森陽一氏にもアカデミズム側からの見解を示して欲しいと提案した。すると「批評空間」の方で既に打診していたということで、その返事を見てから応答しようと考えていたら、佐藤氏だけから「批評空間」に返事があった【編集部註】。それに対しては 氏が応答するのがふさわしいと思われるのでここでは触れない。ともあれ時間が経ってしまったが、改めて渡部氏に答え、その対話の姿勢に敬意を表して、氏が行っている論点のずらしと言いがかりに反論したい。 |
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軽い方から行く。まず言いがかり(1)「大杉が「さも重大そうにあげつらっている」という『早稲田文学』の小文は、辻仁成の短編「君と僕のあいだにある」(『新潮』2001年11月号)が、村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』の第一話「UFOが釧路に降りる」の限りなく「盗作」に近い作品であることを指摘し、この作品を称賛する高橋源一郎を批判したものだが、大杉は実際に問題の二作を読み比べた上で、この言をなしているのか。読んだうえでわたしの「こそ泥」指摘を肯定しているのか、否か。かりに肯定したとすれば、そのうえで、わたしの指摘をなお、「さも重大そうに」と書いているのか。かつての立松和平の依然として釈然とせぬ現状ほどではないにせよ、この種の「パクリ」を黙って通用させて(目下のところ、辻からも高橋からも、小文への反応を見ない)しまうことのほうが、わたしとの「論争」以上に「重大」ではないのか?」について。 |
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「実際に問題の二作を読み比べた」かと言われれば、そんなことはしていない。するはずがない。そんな結果の最初から分かっている暇つぶしをしているほど私に時間はない。村上春樹の作品は読んでいるが、辻仁成など知らない。興味がない。どうでもいい。辻が盗作をしていようがいまいがそれが何だと言うのか(ちなみに私は 秀実が執拗に関心を抱いている小森陽一『日本語の近代』(岩波書店)初版が安田敏明氏らの著作の剽窃だったかどうかという問題にも何の興味もない。小森の著作において真剣な批判に値するのは、『構造としての語り』のヒューマニスティックな文学史的枠組だけである)。田口ランディの場合がそうだったが、盗作問題は被害者が加害者を訴えることで初めて問題となりうる。辻が村上を盗作したのなら、まず村上が辻を訴えるべきだろう。いずれにしろ私が「さも重大そうに」と書いたのは、渡部氏の言説が結局「文壇」と「純文学」の制度を共同体的に更新することにしか貢献していないように見えたからだ。辻が芥川賞作家であり純文学作家であるという制度的前提があって初めて辻が村上を盗作したかどうかが意味を持つのであって、辻が単なる大衆文学の書き手であるなら批評の対象にならない。だが辻の作品が純文学とされるのは、その内容によってではなく、それが文芸誌に載り、芥川賞作家の作品であるという純粋に外在的な理由によってである。渡部氏が辻の「君と僕のあいだにある」が「限りなく「盗作」に近い作品である」ことをさも重大そうに告発することは、同時にその身振りによって芥川賞と文芸雑誌がさも重大な存在であるかのようなイメージを振りまくことであり、その姿勢の保守性に私はうんざりするしかない。天皇制について単に廃止すればいいというのが正論であるとすれば、芥川賞や文芸雑誌も単に廃止すればいいだけである。断言するが、天皇がいなくなっても日本人が存在し続けるように、芥川賞や文芸雑誌がなくなっても日本文学は決してなくならない。昔飼っていた猫が汚い小鼠をくわえて来ては自慢そうに私のところにお供えに来るので閉口したことがあったが、辻という「こそ泥」をくわえて来て自慢そうに見てくれと言われても困る。私は漱石をめぐって渡部氏と論争することの方が、文壇における辻や立松和平の位置づけを議論することより遙かに価値があると考えている。もし氏が後者の方が価値があると考えているのなら、氏は結局批評家は小説家の幇間だと考えているということだろう。(「辻仁成など知るか」と言うだけでは無責任に思われてしまいそうなので、遅蒔きながら辻の作品を読んで見たがやはり時間の無駄だった。辻が原稿を落とすとクビになる編集者など本当にいるのだろうかというのが唯一の感想。テレビに映った惨事の映像にショックを受けて北海道に行くところは確かに村上作品と似ているが、もし裁判になっても盗作が認められるとは思えない。この点は田口ランディや立松和平とは一緒に出来ない。) |
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次に言いがかり(2)「大杉への反論を『早稲田文学』に掲げたしばらく後のことと記憶するが、大杉は『群像』誌上で川村湊と対談し、大杉の昨今の発言から推して、みずから敵対せんとするかにみえる悪しき「文壇」の、その体現者のひとりともいえる対談相手が、 秀実にかんし、あれはただ騒ぐのが好きなだけの存在にすぎない、といった主旨の発言をしたさい、これにたいし一言も異義を呈していなかったはずだ。「論争」一般の消滅を批判する今回の一文の主旨からすれば、「文壇」に自足しきった川村のその発言は、大杉じしんに訪れた「論争」の絶好の機会だったのではないか? 手元に資料が見当たらないままで申し訳ないが、これはわたしの記憶違いか。記憶違いでないとすれば、その理由は何か」について。 |
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渡部氏が言及している『群像』の対談は「村上龍と村上春樹」(二○○年七月号)である。その中で私と川村湊は次のようなやりとりをしている。「大杉 秀実にいわせれぱ、それはジャンク化ということでしょうね。/川村 秀実はいつでも、ただおもしろがってはやしたてているだけだから。ただ、いっていることはまさにそのとおりになっているわけです。/大杉 現実に、今や文芸雑誌に批評がなくなりつつあることも確かですね。それに対して批評の言葉が可能であるとすれば、道はけわしいという感じがしますね」。 |
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今読み返しても私は別にここで川村氏と 氏の位置づけをめぐって論争する必要があったとは思わない。『重力01』で私は鎌田哲哉と共に 氏にインタヴューをしたが、その中で私は の「面白左翼」的な志向に疑問を呈した。もちろん川村が言っている「ただおもしろがってはやしたてているだけ」という批判がそれと同じとは思わないが、少なくとも私が川村に対して を代弁しなければならない理由はない。私は全共闘世代の批評家たちの何時までも進歩のないドングリの背比べ的な争いに興味がない。 ・渡部と川村のどちらが優秀かなどくじ引きで決めたらいい。いずれにしても私は座談芸者ではない。八○年代批評は、座談のお座敷漫才芸によって客を呼んで来たし、今も呼んでいるが、そのような芸は私にはできない。しかし無芸で開き直るつもりもないから、今後も対談・座談やシンポジウムの場を避けようとは思わないし、そこにおいて自分の意志を伝える努力はする。だが私の本領は書かれたものの中にあり、座談や対談でのどうでもいい片言隻語(日本的共同体の住人たちはそこしか読まないし聞かないが)で揚げ足を取られたくはない。 |
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以上は私にとっては本質的ではない言いがかりへの応答である。渡部氏が更に再反論をするのは自由だが、私としてはむしろこうした極小的な文壇政治の話ではなく、漱石論をめぐる大局的な認識において氏と議論をしたい。すなわち渡部氏は漱石論について幾つかの論点のすり替えを行っている。 |
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まず論点のすり替え(1)「今日までの新作について語らずにいる最大の理由は、高橋との応酬の核心をなす同書の一文「漱石と天皇」を読んで、会心の思いをたぶん誰よりも強くいだいたのが、当のわたしであったからだ。大逆事件につき漱石は沈黙を守ったという定説にたいし、わたしは『こころ』に書いてあるではないかと言い出し、これをいわば否定的媒介として、 は、いやもっと前、事件と同時期の「思い出す事など」に記している事実を論証したのだ。わたしの「K=幸徳秋水」(=管野すが子=桂太郎)説はしかも、一九八九年(!)に発表されたの一文「消滅する象形文字」(『日本近代文学の<誕生>』所収)における「K=キング」(=夏目金之助)説の書き換えなのだ。大局からすれば、われわれはつまり、予期もせぬ十年がかりで「国文学界」の定説を打破したことになる。その最終的な功績が にあることはいうまでもないのだが、「結託」ならぬこの「連携」の今後ありうべき効用に比べれば、互いの観点、分析手法の相違をみずから言い立てるほどのことはあるまい。それが、折から「六十八年」の小説論に着手没頭し、今もしつつある者の判断であった(この点、 の「新説」にたいする研究者の「黙殺」ぶりを、わたしは文字どおり我が事として憤ってもいる)」について。 |
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「否定的媒介」とは便利な言葉だが、ほとんど何も意味していない。もし渡部の「K=幸徳秋水」(=管野すが子=桂太郎)説( は『「帝国」の文学』の中でそれを「周辺的な奇説」として相手にしていない)が の「思い出す事など」論の成立のための「否定的媒介」として役立ったという奇妙な論法が成り立つのなら、同じ論理で小森陽一やその他の国文学者たちの漱石についての「奇説」もまた「大局からすれば」 説を導く「否定的媒介」として役立ったということになるだろう。そうであるなら は渡部だけではなく小森や島村輝にも等しく感謝しなければならないはずである。しかしそれはナンセンスなのだから、 は渡部に「われわれ」呼ばわりされたことを怒るべきである。もし の説が渡部の言うように「「国文学界」の定説を打破した」のだとすれば(そのこと自体検証されるべきことであり、私自身「重力」のインタヴューで述べているように の説に全面的に同意しているわけではない)その功績は一から十まで 自身に帰せられるべきであり、渡部がそこにおいて果した役割はゼロあるいはマイナスである。渡部氏の言う「「結託」ならぬこの「連携」の今後ありうべき効用」とは何か私にはまったく分からない。強いて言えば漱石の美化をより延命させる効用しか考えられない。 と渡部との間には漱石が天皇制に屈従したかどうかをめぐって決定的な差異があり、その差異を「みずから言い立てるほどのことはあるまい」と軽視することは、渡部氏自身の自己イメージを保つこと以外何の役にも立たない。 |
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論点のすり替え(2)「とはいえ、この間、わたしと 秀実の「相違点」がかつてなくあらわになったのは確かであり、それが応分の意義をもつものとして大杉・浅田両氏の眼に映じたとすれば、二十年来、先の編集者のような台詞を訊かされつづけた身に、事態は一種望外の成りゆきに類する。同時に、大西巨人の野間宏批判に容喙する宮本顕治の言葉(「野間をいまけなすのは運動上、政治的にも文学的にもまずい」)と共に、大杉文が、われわれ両名にみる「ポストモダニズムの党派性」を批判する点も、わたし一個においては、傍目にそう取られて仕方ない面をもってもいる」について。 |
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私が「俗情との結託」の例を出した時、現在の言説空間の中で野間宏に当たる存在として想定していたのは夏目漱石であり、「ポストモダニズムの党派性」として批判したのは「漱石をいまけなすのは運動上、政治的にも文学的にもまずい」といった雰囲気がはらむ抑圧である。ところが渡部の文章を読むと、漱石ではなく「 と渡部が対立するのは運動上、政治的にも文学的にもまずい」という判断で と渡部が連携することが「俗情の結託」だと私が言っているかのように読める。これは問題の矮小化でありすり替えである。私の批判は「われわれ両名」だけではなく、夏目漱石という「俗情」にとらわれたすべての人に向けられている。引用に続く部分においても渡部は のラカン的手法を一般論的に批判するが(このレヴェルの批判では鎌田哲哉が『早稲田文学』で行った 批判の水準に到底達していない)、それは問題が の批評ではなく漱石評価をめぐるものであることを隠蔽する。なぜ渡部は論理的にまともな反論ができないにもかかわらず、理屈を超えて漱石をそんなにまでして救いたいのか。漱石を冷たい「研究的」な眼で見ることを拒否し、温かい目で見ようとするのか。 |
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唯一渡部が反論らしいことを述べているのは次のくだりだけである。「 が取り出した漱石の「思い出す事など」が「黙説法」にあたるとしても、時代の制約を不当に軽視してことの是非を裁断すると、かつての「花田・吉本」論争における吉本隆明と近似した位置にたつことになるが、 秀実は、「論争」の敗者と目されたまさにその花田清輝の擁護から始めた批評家ではないか」。 |
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しかし都合の悪い時だけ「時代の制約」を持ち出すのはフェアではない。「時代の制約を不当に軽視してことの是非を裁断する」のが不正であるのだとしたら、渡部氏はまず自身の『日本近代文学と〈差別〉』をもう一度読み直して、氏がその中でどれだけ「時代の制約を不当に軽視し」て日本近代文学を告発裁断しているかを反省するべきだ。長田幹彦や島崎藤村に土下座して謝るべきだ。それができないのなら、藤村に対するのと同じ態度で漱石に臨むべきだ。 が花田清輝を擁護したのは、花田の戦時中の言動は「時代の制約」の故にやむを得なかったというような消極的な理由からではなかったはずだ。むしろ は戦時中の花田に「時代の制約」を超えた批評性を見ていたのではないか。もちろん花田の批評が の考えるようなものだったのかはそれとは別問題である。いずれにしろこの漱石をめぐる論争を吉本花田論争と比較するのは見当違いである。 |
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繰り返すが私は渡部氏と 氏との「友情」を「俗情」と見なしているのではなく、夏目漱石をめぐる薄気味の悪い暗黙の「俗情」を批判しているだけである。渡部氏は「その背後に の影が色濃く漂う大杉重男じしんの小著批判」と以前私が『早稲田文学』誌上で書いた『不敬文学論序説』批判を形容していることに見られるように、私を のエピゴーネンであるかのようなイメージを作ることに努めているが、私と の立場はこの点で全く異なる。それは私が『群像』で連載した「アンチ漱石」(渡部氏は読んでいないのかもしれないが、その第三章第一節で渡部の『こゝろ』解釈を徹底的に批判している)と『「帝国」の文学』を読み比べれば分かるはずだ。 氏は天皇と文学という単一的問題圏の中で天皇との関係を特権化しているが、私の漱石批判において天皇の問題は(無視はできないにしろ)その他の多くの問題の中の一つに過ぎない。漱石と漱石をめぐる表象には一つではなく複数のイデオロギーがからみついており、それに対しては単一的ではなく複数的でポリフォニックな批判が必要である。 |
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もっともこれは私の批評の問題であり、今回の論争はあくまで の漱石解釈をめぐるものなのだから、私としては 氏に論争を継続する意図がなければこれ以上書くつもりはない。私は他人の戦いを代行して戦いたくない(いつもそんなことばかりしている気がするが)。実際私にも山城むつみのように「「論争」の論理は一応理解しながらも、小説家と文芸評論家がなぜそんなすわりの悪いところに土俵をこさえて無理な姿勢で腕相撲をしているのか、腑に落ちなかったのである」(「「遊びがあつて不可」論」、「新潮」二○○二年六月号)と、小林秀雄を気取って高みから禅問答的な心境を語って悟り澄ましていたい気持ちは十二分にある。しかし私はそのような境地に立つ時に失われてしまう散文的な感覚にこだわっているので、やはり「すわりの悪いところに土俵をこさえて無理な姿勢で」書き続けているのである。 |
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【編集部付記】
このテキストは、上文は、編集部からの依頼に答え、2002年5月11日に寄せて頂いたテキストです。 |
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【編集部註】
石原千秋氏から、編集部宛てにお便りを頂いたことを付記しておく。 |
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※ このテクストには以下レスポンスが付いています。
▼ 夏目漱石という「俗情」
− 秀実と高橋源一郎の論争について/大杉重男(2002/03/25)
▼ Re: 大杉重男に同調して討議への参加を呼びかける/浅田彰(2002/03/22)
▼ Re: 大杉重男と浅田彰の「呼びかけ」に接して/渡部直己(2002/03/28)
△ Re: 辻仁成など知るか―渡部氏への応答/大杉重男(2002/05/11)
▼ Re: 編集部への返事/佐藤泉(2002/04/25)
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