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 コロンビア大学教授として比較文学を講ずるかたわら文芸批評においても令名を馳せ、さらには音楽批評に手を染めるばかりかピアニストとしてもなかなかの腕前を示す。古き良き時代の優雅な才人の最後の生き残りといってもいいそんな大知識人が、同時にパレスチナ民族運動に深くコミットしているとしたらどうだろう? それがエドワード・サイードの場合である。
 サイードは、民族的にはパレスチナ人、宗教的にはキリスト教徒という複雑な背景をもって、1935年にエルサレムに生まれるが、やがてカイロに移り、さらにアメリカに渡って文学を学ぶ。だが、アメリカ国籍を取得し、コロンビア大学に職を得た後も、サイードが自らの出自を忘れることはなかった。実際、代表作『オリエンタリズム』(平凡社)からして、博覧強記を誇る学術的な著作でありながら、西洋が東洋にいかに気ままなイメージを押し付けてきたかを分析するその視点は、きわめて政治的であるといってよい。
 さらに、サイードはアカデミーの枠を超えた活動にも足を踏み出す。77年にはPNC(パレスチナ民族評議会)の議員となり、一時はPLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長に近い立場から国際政治の場で積極的な活動を展開するのである。しかし、その活動はすぐに大きな壁にぶつかった。湾岸戦争でイラクを支持するという過ちを犯したアラファトは、湾岸戦争後どんどん追いつめられて、イスラエルとの和平交渉で屈辱的な条件を呑まされる。その前からすでにアラファトに批判的になっていたサイードは、たまたま慢性の白血病と診断されたこともあり、91年にはPNCを去って公式の政治活動から身を引くことになったのである。
 しかし、それはサイードにとってパレスチナを捨てることを意味するものではなかった。むしろ逆だ。人生の終りを意識し、自らの「ルーツ」を確かめる必要を感じた彼は、92年、家族を連れて45年ぶりにエルサレムを訪れる。そして、96年にもまた。その旅の記録を中心とした4篇のエッセーが翻訳され、『パレスチナへ帰る』(作品社)と題して出版された。それはパレスチナの現在を雄弁に物語るルポルタージュであり、訳者の四方田犬彦による目配りのよい歴史解説と併せ、パレスチナ問題を考える上で必読と言えるだろう。
 それにしても、サイードが故郷で目にしたのは、まさしく絶望的な現実だった。パレスチナに名ばかりの自治を与えながら苛烈な支配を続けるイスラエル。そのイスラエルに押しまくられながら、民衆に対しては恣意的な専制支配をしくアラファトのPLO。そのような現実に怒りの目を向けながら、しかし、サイードはその向こう側に幼少期の記憶の痕跡を探り、同時に、イスラエルとPLOの両者に反対する人々とひとりでも多く会おうとする。92年、母校を訪れ、息子のワディに、彼の祖父にあたるワディの名前の刻まれた賞牌を見せるサイード。その4年後、パレスチナでヴォランティアとして働く息子に招かれてその地を再訪し、息子の知り合いになった学生たちと語り合うサイード。その足取りは、きわめて個人的であると同時に、そのことによって深く政治的である。
 これらの旅はサイードが幼少期のメモワールをまとめるための取材旅行でもあった。そのメモワールが『アウト・オヴ・プレイス』(クノップフ社)と題して刊行された。「場違いな」という意味のタイトルは、流浪の生活を余儀なくされたパレスチナ人の実感をよく示している。そして、ナディン・ゴーディマーや大江健三郎とともに推薦文を寄せたサルマン・ラシュディが言うように、この本は、複数の文化を生きることの苦痛と混乱を、しかしまたそれによる解放と可能性を、実にヴィヴィッドに感じ取らせてくれるのである。日本語でも早く読めるようになることを期待したい。
 なお、このメモワールによると、サイードはたしかにエルサレムで生まれたが、それは、すでにカイロに住んでいた両親がエルサレムのほうが医療水準が高いと考えたためだった。とすると、親イスラエル派からすれば、サイードがイスラエルの建国された47年に故郷を追われたかのように言ってきたのはおかしいということになるだろう。だが、サイードにとって、エルサレムにあった叔母の家は幼少期に多くの時間を過ごしたもうひとつの故郷とも言うべき場所であり、47〜48年に一族がそこから追われたことは忘れがたいトラウマだったのである。『アウト・オヴ・プレイス』は、揚げ足取りの対象ともなってきた伝記的事実を明確にするとともに、その事実に基づいて圧倒的な説得力をもった記述を展開する。それは、長い流浪の生活を送ってきた大知識人の、掛け替えのない遺言である。

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