Critical Space Archive

 去る(1999年)5月22日から6月16日まで行われたピナ・バウシュとヴッパタール舞踊団の日本公演は、4演目からなる充実した内容で、この希有の振付家がほとんど独力で築き上げたタンツテアター(ダンス・シアター)の世界を満喫させてくれた。
 とくに、グルックのオペラをそのままダンスにした『タウリスのイフィゲネイア』(1974年)が上演されたことは、それがヴッパタールでの最初の大作であるだけに、ピナ・バウシュの全体像を捉え直す上で重要な出来事だったと言えよう。このマイスターヴェルク(修業の総仕上げとなる作品)で、彼女はそれまでに学んだドイツの表現主義舞踊やアメリカのモダン・ダンスを見事に集大成してみせる。いや、それだけではない。実のところ、ギリシア悲劇に基づく物語には、たとえばイフィゲネイアの弟の、父を殺した母に寄せるアンビヴァレンスや、それと裏腹になった友人との同性愛的感情など、かなり際どい内容が含まれているのだが、そのすべてが明確に表現されながら、決してどぎつくなることがない、それは、振付家が身体の所作を潔癖なまでに精密に統御しているからだろう。こうして、ピナ・バウシュの振付は、この機会に甦ったとも言うべきグルックの端正な音楽とともに、鮮烈なギリシア悲劇に見事なフォルムを与えてみせた。紛れもないマイスターヴェルク(傑作)と言うべきだろう。
 だが、それはピナ・バウシュにとって出発点でしかなかった。彼女はやがて、ダンサーたちの体験をサンプリングし、それをコラージュして作品を構成するようになるのだ。たとえば、『ヴィクトール』(86年)は、舞踊団がローマに滞在したときのひとりひとりの経験をもとにしたシーンから構成されている。ローマには噴水がたくさんあった? じゃ、女が人間噴水になって、男がその水で体を洗うというのはどうかしら? こうして、時には不条理とも見えるシーンが一見アト・ランダムに続いてゆく。だが、3時間を超える舞台の最後の方ともなると、それらのシーンがいわば提示部に対する再現部のように反復されることで恐るべき強度にまで到達し、それこそギリシア悲劇にもまさる感動を与えるのだ。多彩をきわめる音楽の選び方や使い方も実にうまいし、装置や衣装も磨き抜かれている。だが、何と言っても、ピナ・バウシュの構成力こそが、普通ならバラバラになりかねないコラージュに、不連続の連続とも言うべき一貫性を与えているのである。
 こうした手法からしてみれば、ダンサーの入れ替わりとともにピナ・バウシュの作品が大きく変化していくのも当然だろう。香港でつくられた『フェンスタープッツァー』(97年)などの近作では、かつてダンスを解体するかに見えた振付家は、再び若いダンサーたちに存分に踊らせるようになり、全体は華やかなシーンのコラージュという様相を強める。それを甘美に過ぎると見る向きもあるだろう。だが、見方を変えれば、ピナ・バウシュもそういう成熟段階に到達したのであり、そのタンツテアターは若いダンサーたちから新しい生命力を引き出しながら日々新たに生まれ変わりつつあるとも言えるのではないか。
 そのピナ・バウシュが、『ダンソン』(95年)で久しぶりに自ら踊ってみせた。子供の遊戯を思わせる甘美にして残酷なアナーキーの只中に、いわば<母>とも言うべき振付家がふと現われ、フリーズしたカラフルな魚の映像の前でゆらめくように踊る。短い、しかし、忘れがたいシーンである。
 それにしても、ドイツの一地方にあって、四半世紀もの間こういう前衛的な実験を支え、それを世界に誇る文化資産とするにいたったヴッパタールの人々には、あらためて敬意を表しておきたい。また、日本公演に関しては、86年から5回にわたってこの舞踊団を招聘してきた日本文化財団、そしてとくに、前回96年の公演に続き、今回このような大規模な公演を実現した彩の国さいたま芸術劇場の力を高く評価すべきだろう。諸井誠の率いるこの劇場は、音楽などの面でも、長期的な展望にそった独自のプログラムを組み、高い評価を集めている。ピナ・バウシュの来日公演がそういう長期的なプログラムの中に織り込まれていくとしたら、これほど嬉しいことはない。
 高い見識をもった芸術監督が独自の方針を長期的に追求していくという、当たり前と言えば当たり前のことが、残念ながらきわめて稀にしか行われていない日本では、さいたま芸術劇場の存在は貴重である。今回『ダンソン』の公演を行なった滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール、その他、各地に続々と誕生した文化施設も、こういう優れた先例に続くことを望みたい。そうでなければ、それこそ宝の持ち腐れと言うべきではないだろうか。

⇒ イヴェント情報【ピナ・パウシュとの対話――PINA IN KOMABA】

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