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去る2月、セゾン美術館が閉館した。セゾン美術館の前身である西武美術館が開館した1975年は、堤清二のもとで西武グループの文化戦略が本格化した年でもある。それから四半世紀にわたって時代をリードしてきた西武/セゾン文化が、ついに中核のひとつを失う。感慨深い出来事である。 |
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それまで、デパートの文化事業といえば、売り場の片隅で「泰西名画展」のたぐいを開くのが精々だった。ところが、西武/セゾン美術館は、内外の現代美術を積極的に紹介していったのである。世界の流れから取り残された公共の美術館を尻目に、それは一時期には同時代の世界に開かれた日本最大の窓として機能したのだった。同じことは、劇場・映画館・ホール・出版社・書店・レコード/CD店などを通じて多角的に展開された西武/セゾン文化全体に当てはまるだろう。そこでは、世界中で話題になっている舞台や映画や音楽に触れ、世界のどこよりも簡単に前衛的な美術書やレコード/CDを手に入れることができた。私はちょうど1975年に大学に入ったのだが、私や私以後の世代が西武/セゾン文化にきわめて多くを負っていることは、率直に認めておかなければならない。 |
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確かに、それは矛盾を孕んだ文化戦略ではあった。大衆消費社会を批判する前衛文化を、大衆消費社会の担い手である流通産業が積極的にフィーチャーしてみせる。「生ける逆説」(『セゾンの発想』リブロポート刊)における三浦雅士のように、そこには、「自身を否定しながら、その否定すべき自身を肥大させる」、あるいは、「いかんともしがたく展開する現実に冷ややかな目を向けながらも、その現実の展開をむしろ加速させる」という「ニヒリズム」すら見て取ることができるだろうし、その背後には、革命的な詩人であると同時に資本主義企業の経営者でもあるという堤清二の二重性を見て取ることもできるだろう。詩人が流通産業を乗っ取って前衛文化をプロモートさせる、と同時に、そういう自己批判的とも言える姿勢が、モダンなアメリカ型大衆消費社会を超えるポストモダンな日本型分衆消費社会に向けた新しい流通産業のイメージ戦略として、きわめて有効に機能する。このように、西武/セゾン文化は、自己矛盾にもかかわらず、いや、その自己矛盾によってこそ、爛熟した資本主義の先頭に立ち、80年代をピークとして、日本の文化に大きなインパクトを与えるとともに、日本の消費社会を新たな段階へと導いたのだった。 |
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もちろん、そうした矛盾ゆえに、西武/セゾン文化を批判するのはやさしい。文化といいながら、結局は宣伝に過ぎなかった? だが、企業に宣伝とまったく無関係な文化事業を期待するほうがどうかしている。問題は文化事業の内容だ。それに関するかぎり、堤清二のようなヴィジョンをもって文化事業を推進しようとする経営者は、「企業メセナ」という言葉が一般化したいまも、まだ現われていない(私は、ここ数年、企業メセナ大賞の審査員をつとめているのだが、不況のもと、受賞によってなんとか従来からの文化支援を続けていけるといった、どちらかといえば後ろ向きのケースが目立つ)。あるいは、逆の批判もある。詩人が無理をして企業の経営を傾けた? だが、西武/セゾン・グループの発展は文化戦略なしにはありえなかった。また、たとえば、一時はほとんど無差別に融資しておきながら、いまはこれまた無差別にそれを回収しようとし、重要な文化施設をも閉鎖に追い込んでしまうような金融機関に、その経営を批判する資格があるだろうか。 |
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そのような意味で、安易な批判が集中するいま、私はあえて西武/セゾン文化が果たしてきた役割を積極的に評価しておきたい。そして、西武/セゾン文化を継ぐ者は誰かと問いたいのである。 |
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もちろん、セゾン美術館が閉館するからといって、セゾン・グループの文化活動が終わるわけではない。軽井沢のセゾン現代美術館は、ある意味でセゾン美術館より先鋭的な活動を続けているし、グループ全体の文化活動は今後も多面的に展開されていくだろう。 |
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それ以上に重要なのは、若い時代にセゾン文化の洗礼を受けた世代が、新しい文化の担い手として登場してきていることだ。早い話が、芥川賞作家の保坂和志や直木賞作家の車谷長吉はセゾン・グループの社員だった。さらに若い世代をみても、作家の阿部和重や音楽・映画評論家の佐々木敦など、思わぬ人たちがセゾン・グループで働いていた(アルバイトも含めて)ことは、自身もそのひとりである永井朗が「セゾン系に始まる」(『文藝別冊・90年代J文学マップ』)という興味深いエッセイで指摘している通りだ。セゾン文化の未来はともあれ、セゾン系文化はもしかしたらいままさに始まりつつあるのかもしれない。 |
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