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1962年にアメリカ人として初めて宇宙を飛んだジョン・グレンが、去る10月末に77歳でふたたび宇宙へと旅立った。今世紀の宇宙開発の歴史をしめくくるにふさわしいこのイヴェントにアメリカのメディアが熱狂したことはいうまでもない。そこには、来たるべき宇宙ステーション建設の時代に向けてふたたび宇宙への夢をかきたてようとするNASAの意図も働いていただろう。しかし、そこで支配的だったのは、未来への夢というよりも、いわば過去の未来への回帰――つまり未来が輝いて見えた時代へのノスタルジーだったように思われる。 |
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わざわざケープ・ケネディを訪れたクリントン大統領は、もちろん当時のケネディ大統領の未来へのヴィジョンを称えてみせた。CNNでは、36年前の打ち上げの実況放送に携わったウォルター・クロンカイト――アンカーマン(日本でいう「キャスター」)の元祖ともいうべき人物だ――が、ふたたびカメラの前に立った。そして、ややもすれば喉を詰まらせがちな老ジャーナリストにかわって実況放送を担当した女性アナウンサーは、打ち上げの瞬間、「6人の宇宙飛行士の英雄と1人のアメリカの伝説をのせたスペース・シャトルが発射塔をクリアしました」と高らかに謳い上げたのである。こうして「伝説」は宇宙へともどった。 |
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具体的にみても、月を目指した時代と違って、宇宙開発はもはやたんに外への前進だけを目的とするものではなくなっている。軌道上から地球を振り返って細かく観測する。重力に邪魔されずに各種の実験をおこなう。とくに今回はグレンをいわばモルモットにして老人医学の研究を行なうことが大きな目的だった。外宇宙への無限の拡大ではなく、人体という内宇宙、とくに老いという限界を探ることが主要なテーマとなる。時代の転換をいかにもよく象徴しているというべきだろう。 |
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実のところ、外宇宙と内宇宙という言葉は、J・G・バラードが作り出したものだ。宇宙開発が現実性を帯びてきた56年(最初の人工衛星の打ち上げはその翌年だ)にデビューしたこのSF作家は、外の宇宙への前進は既定の路線になったと考え、むしろ人間の内なる宇宙へと想像力を向けたのである。いかにもイギリス人らしい皮肉屋のバラードは、私との対談(『「歴史の終わり」を超えて』中公文庫)でこう述べている。「最初の有人宇宙飛行が行なわれたとき、私は『もうわかった、これで終わりだ』と思ったね。行けることはわかったんだから、もうあんな環境の悪いところにわざわざ自分で行く必要はない。人工知能を送れば十分じゃないか。[…]私はその方向を捨てて、内宇宙へと向かったのだ、心の内奥の宇宙へと」。 |
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こうして、バラードは、まず、われわれの内なる無意識の宇宙を、そこに現れる過去と未来の複雑なループを、シュールレアリスムの手法を用いながら描き始める。さらに、戦争からテロ、そして他ならぬ宇宙飛行まで、すべてがメディアのためのスペクタクルとなったかのような時代を、ポップ・アートの手法を用いながら描くようになる。ノスタルジーに駆られたアメリカ国民が老いたレーガンをまたも大統領に選んでしまい、その健康状態の詳細な報道(昭和天皇が倒れたときを思わせるような)にかまけて気付かずにいる間にミサイルの撃ち合いが終わってしまっていたという、「第三次世界大戦秘史」(『ウォー・フィーバー』ベネッセ)と称する人を食った作品などは、その典型だ。 |
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もちろん、宇宙飛行の話もないわけではない。しかし、ケープ・ケネディも、バラードの作品のなかでは、テクノロジーの前進基地というより、神話の舞台と化している。実際、行ってみるとわかるのだが、あれは実に奇妙な場所だ。カラフルな鳥たちが飛び交い、ワニやアルマジロが這い回る、亜熱帯の楽園。そのただなかに巨大なスペース・センターがある。そして、付属の空軍博物館では、純白に輝くロケットやミサイルが椰子の木の間に林立しており、かつてグレンをのせて飛んだ信じがたく小さなカプセルもあたりの草地に転がっているのだ。そう、私がTVプロデューサーなら、今回のグレンの宇宙への帰還にあたり、バラードをコメンテーターとして現場に招くところなのだが…。 |
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もちろん、過度にシニカルになる必要はない。今回の飛行が過去の未来へのノスタルジーとでもいったものに染め上げられていたことは事実だが、そこでは未来のための科学的データも着実に積み上げられていた。とはいえ、その主要な部分は、人間の内なる宇宙――バラードの言うような心理学的なものではないにせよ、生物学的な――にかかわるものだったのだ。おそらくそうした内宇宙こそが、来世紀の新たなフロンティアとなるに違いない。 |
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