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大衆文学化する「純文学」
 大衆文学作家の花村萬月が芥川賞を、純文学作家の車谷長吉が直木賞を受賞したことは、純文学と大衆文学のクロスオーヴァー現象として注目されている。だが、本当にそうなのか。たんに純文学の水準が落ちてきただけではないのか。 そう思って、花村萬月の受賞作『ゲルマニウムの夜』(文藝春秋)を読んでみたのだが、どうも初めて読むような気がしない。そう、これはほとんど、1991年に雑誌に連載された『聖殺人者イグナシオ』(廣済堂)のリメイクではないか。
 キリスト教系の福祉施設の中学部を卒業してから長年放浪生活を続けてきたという作家は、『聖殺人者イグナシオ』でそういう施設を舞台に選んだ。主人公は「超越的な美貌」をもつ17歳の少年であり、卒業を前にして同級生を殺し、修道女と肉体関係をもつ。それによって罪を知るのだが、逆説的にもそれこそが救済への第一歩にほかならない、というわけだ。暴力と性による侵犯、侵犯を通じて逆説的に現れる聖性。なんともありふれた紋切型にはちがいない。しかし、大衆文学というのは、紋切型をうまく使って読者を楽しませる芸なのであり、その点、『聖殺人者イグナシオ』はそれなりの水準に達していると言えるだろう。
 他方、『ゲルマニウムの夜』も、舞台はまったく同じである。主人公はフランシスコという洗礼名をもつ22歳の青年で、施設の外で殺人を犯して逃げ戻ってきたという設定に変わっているが、そこで修道女や修道女志願者と禁じられた肉体関係を結ぶところは旧作とよく似ている。そういう侵犯行為によって主人公は神を試そうとするのであり、挑戦的な告解という形をとることでわかりやすくなっているとはいえ、図式としてはこれまた旧作と同じと言っていいだろう。背景も、はるかに細かく書き込まれているものの、施設の農場で牡豚同士が肛門性交に及んだあげくペニスが螺旋状なので抜けなくなる、といったディテールにいたるまで、共通点がきわめて多い。ただし、ここで書かれているのは、『聖殺人者イグナシオ』で言えば全5章中の第2章までであり、またそのために、完結した短編としてみるといささかバランスを欠いていると言わなければならない。
 いずれにせよ、このように『ゲルマニウムの夜』がほとんどリメイクと言ってよい作品であるとすれば、それは『聖殺人者イグナシオ』を純文学に昇華したものと言えるだろうか。ここでとりあえず純文学と呼ぶ(本当はたんに文学と言えばいいのだが)のは、内容的にも形式的にも紋切型を解体して独自に再構築しているような作品である。その意味では、『ゲルマニウムの夜』はやはり大衆文学だと言うほかない。この小説は、内容的には、旧作と同様、暴力と性による侵犯、侵犯を通じて逆説的に現れる聖性という紋切型に支配されており、形式的にも、いかにも「文学的」な表現が増えたことでかえって旧作より冗長になった面さえある。ポルノを「Pornographie」と書いてみたり、肛門を「稲垣足穂好みの場所」と表現してみたりすることで、大衆文学が純文学になるというわけではないのだ。受賞記念の対談(『文學界』九月号)で、作家は、「今までは自分のやりたいことのうちの20パーセントだけ書いていたんだけど、『ゲルマニウムの夜』では、50パーセントやってみたという感じ」だと言い、「エリートの読物に堕落したくはない」から「これ以上好き勝手にやる」のは控えたい、と述べている。保証しよう、花村萬月がどれほど過激な実験に挑んだところで、それが「エリートの読物に堕落」することはありえない。だから、われわれは作家が120パーセントの力を振り絞って書いたものを読みたいと思うのだ。
 いずれにせよ、花村萬月はプロの大衆文学作家であって、それ以上でも以下でもない。問題は、純文学の基準を設定するはずの芥川賞の選考委員たちが、この程度のものにやすやすと騙されてしまうということである。その背景には、近年、メタフィクション的な仕掛けや凝った言葉遊びに依存する小説が増えてきたという事情がある。たしかに、その多くは、実験としてもあまり意味がなく、大衆小説のように面白くもない。そういう浅薄な頭脳派(本当に頭脳的とは言えないのだが)の作品に辟易した旧世代の作家たちは、大衆文学をあまり読んでいないせいもあってか、肉体派を気取る作品にきわめて点が甘くなっているのだ。
 しかし、浅薄な頭脳派と単純な肉体派の不毛な対立にとらわれるべきではない。最近の作家たちのなかにも、たとえば町田康のように、かつての無頼派を思わせる肉体感覚と独自の言語感覚を兼ね備えたユニークな存在がいる。文学というのはそのような存在によってこそ担われていくのではないか。純文学がたんに大衆文学を取り込むことで延命できると考えるのは大きな間違いなのだ。

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