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この春ロスアンジェルス・カウンティ美術館で始まった草間彌生の大規模な回顧展
<Love Forever> が、いまニューヨーク近代美術館に巡回している。60年代に派手なパフォーマンスでニューヨークのアート・シーンを騒がせた「東洋の魔女」の、堂々たる凱旋と言うべきだろう。 |
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1929年に生まれた草間彌生は、精神を病みながらも、早くから旺盛な創作活動を展開し、その作品は、精神医学者の西丸四方の注目するところとなった。そして、早くも57年にアメリカに渡った彼女は、それからのめざましい活躍によって、60年代の前衛芸術の寵児のひとりとなったのである。 |
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当時から草間彌生の作品を特徴付けるのは、反復と増殖――とくに彼女を脅かす男根的な形態のそれである。机を、椅子を、いたるところを、男根状のオブジェが覆い尽くす。だが、逆説的にも、それによって男根的なものはむしろユーモラスな不能性を露呈してしまうのだ。単一の男根を直接去勢するのではなく、男根を複数化することで逆説的に去勢してしまうこと。ここに草間彌生の独特の戦略がある。 |
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同じことはもっと抽象的な形でも展開されるだろう。草間彌生は、巨大なキャンヴァスを、そればかりか男女の裸体を、一面にドットで覆い尽くす。ほとんど強迫神経症的なドットの増殖。だが、ある瞬間、図と地、正と負、実と虚のめくるめく反転が生じ、ドットの群れに代わって、その間の網目状の余白のほうが、前面に浮き出してくるのだ。そのとき、神経症的な自己は、コズミックなネットの中へ消失してゆく。芸術による偉大な自己治癒の瞬間である。 |
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重要なのは、こうした心理的な側面が、作品の形式的な側面とぴったり符合していることだ。草間彌生がアメリカで本格的な創作を始めた60年代初頭は、アクション・ペインティングやアンフォルメルなどによっていったん形という形が失われたあと、小さなユニットの反復によって形態的な秩序を再構成していくことがさまざまな形で試みられていた。彼女の作品は、まさにそのような流れの最先端に位置づけられるべきものだったのである。 |
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こうしてみてくると、草間彌生はもっと早くから高い評価を受けてしかるべき芸術家だったと言えよう。しかし、主たる活躍の場がアメリカだったことが却って災いしたのか、とくに日本では十分に注目されてきたとは言いがたい。その仕事の総括的な再評価に与って力があったのは、89年にニューヨークで開かれた回顧展だった。その際にキュレーターのアレクサンドラ・モンローの製作した詳細な年譜を含むカタログは、このアーティストを前衛芸術の歴史の中にはっきりと位置づけ、それにふさわしい評価を招くことになったのである。モンローは、その後、日米を巡回した「戦後日本の前衛美術」展を組織し、草間彌生を含む女性アーティストの活躍にとくに焦点を当てながら、一応の通史を再構成してみせた。そこでの作家や作品の選択については批判も多い。しかし、自分たちが率先してやるべきことをやってこなかった日本のキュレーターたちに、それを批判する資格があるだろうか。そして今年、モンローは再び草間彌生を取り上げ、以前にもまさる規模の回顧展を組織したのだった。日本の誇るべきアーティストをこうして国際舞台に押し上げてくれたことに関して、われわれはこのアメリカ人キュレーターに率直に感謝すべきだろう。 |
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もちろん、日本でもそういう試みがなかったわけではない。たとえば93年のヴェネツィア・ビエンナーレでは、日本館が草間彌生をフィーチャーした。しかし、そのときの展示はやや盛り沢山にすぎてまとまりを欠いたし、カタログも十分なものとは言えなかった。たしかに、詳細な年譜によって他のアーティストに対するプライオリティを強調し、日本のように家父長制が強いと思われる国で精神を病みながらそれと戦っている女性としての姿に焦点を当てるというのは、やや政治的に過ぎるかもしれない。しかし、作品そのものが十分な力を持ってさえいれば、キュレーターのそのような戦略は作品の力を増幅するのに役立ち、観衆の注目を集めることができるはずなのだ。残念ながら、ビエンナーレでは、草間彌生は賞を獲得することができなかった。だが、今年の回顧展によって、この果敢な前衛芸術のパイオニアはそれにふさわしい国際的な評価を受けることになるだろう。 |
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ニューヨークの後、この回顧展は、ミネアポリスのウォーカー・アート・センターを経て、来年4月には東京都現代美術館に巡回してくる予定である。それが日本の偉大な女性アーティストにとってのもうひとつの凱旋となることを祈りたい。 |
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