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大阪のなんば駅から南海電鉄高野線でおよそ30分。大阪狭山市に新しくできた大阪府立狭山池博物館は、7世紀初めにつくられたこの日本最古の溜池の堤だけが主要な展示物という、ある意味で実に過激な博物館である。たったそれだけなのに、驚くほど面白いのだ。 |
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安藤忠雄の設計した建物は、それじたい堤を思わせる巨大な二つの直方体から成っている。基段部分の石垣がマッシヴなわりに石組みが粗かったり、二つの直方体をつなぐ円形のコートが形式的に過ぎてやや空疎な印象を与えたり、気になるところがないでもないが、全体として完成度が高く、とくに、両側を滝のように流れ落ちる水のカーテンの間を通って観客を内部に導くアプローチは、いかにもこの建築家らしい大胆なものだ。 |
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そこから中に入ると、最初のゾーンには、1400年の歴史が積み重なる堤の断面が、なんと、高さ15m、長さ62mにわたって、そのまま展示されている。断面を特殊な樹脂で固め、薄く剥ぎ取って、そのまま持ってきたものだ。その迫力の前では、アンゼルム・キーファーの大作でさえ色褪せて見えるだろう。その断面の中には、大昔の地震の跡もあれば、何度も繰り返された改修工事の跡もある。いわば、この断面そのものが、1400年の歴史を書き込んだ巨大な書物の一頁なのであり、観客は解説を参考にしながらそれを読み解いてゆくことができるのである。 |
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また、堤の断面の前には、堤の下に敷設されていた飛鳥時代と江戸時代の木製の樋[ひ]が展示されている。この最下層の樋の驚くほど部厚い木材の年輪から、616年という最初の築造年代が判明したのだった。日本における土木技術の黎明期の貴重な遺産である。 |
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さらに、度重なる改修の跡も、関連する展示と併せ、非常に興味深い。奈良時代の行基や、鎌倉時代の重源。そう、かつて僧侶は土木技術者としても活躍していたのだ。なかでも、中国の様式と技術を駆使した東大寺の再建で知られ、「和様化」に抵抗した日本建築史上の異例者として磯崎新も注目する重源にいたっては、付近の古墳から掘り出してきた石棺を並べて樋をつくっている(石棺の両端をうち欠いて並べ、元通り蓋をしておけば、頑丈な樋管になるというわけだ)のだから、今から見ても過激と言うほかないだろう。そう、ここから遠からぬ場所にある、やはり安藤忠雄設計の、大阪府立近つ飛鳥[ちかつあすか]博物館に見られるように、このあたりは数多くの古墳が点在する地域なのだが、そこから出土した石棺も、この異能の僧侶にとっては、土木工事に利用すべき石材に過ぎなかったのだ。被差別の民や外国の職人まで力を合わせて工事を成し遂げたという誇らしげな石碑の記述などは、いかにも重源の面目躍如というところだろう。ちなみに、鎌倉時代の重源の改修で使われた石棺は、江戸時代の片桐且元の改修で別の形に積み替えられるのだが、この時の改修では、大型船の部材が使われているという事実も、非常に興味深い。こうした改修は近代に入っても続き、展示の最後は、大正・昭和初年の改修の際に建てられた大きな取水塔(初期の鉄筋コンクリート建築で、これまたそのまま館内に移築された)で締めくくられる。実にダイナミックな展示である。 |
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こうして歴史をたどったあと、観客は、安藤忠雄ならではの端正なたたずまいを見せる屋上ガーデンに出て、平成の改修をほぼ完了した狭山池を見晴らすことができる。付近一帯に植えられた桜並木も、やがては素晴らしい花を咲かせるようになるだろう。これといった文化施設をもたなかった大阪南部地区は、近つ飛鳥博物館とあわせて、またひとつ注目すべきスポットを獲得したのである。 |
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実際、狭山池の堤だけから、技術・経済・社会・政治・文化にわたる歴史の諸相が自ずと浮かび上がってくるのだから、これほど面白い博物館は日本にあまり例がないのではないか。そう、文化事業といえば、むやみやたらに美術品を収集して豪華な美術館に収めればいいと考えるのは、まったくの間違いだ。身近な溜池ひとつを素材にしても、やりようによってはこれほど素晴らしい博物館ができる。狭山池博物館はそのことを雄弁に物語る見事な成功例と言えるだろう。最後には土木イデオロギー(「昔からダムはこんなに役に立ってきたし、これからも必要だ!」)を宣伝するお決まりのコーナーもあるが、さほど目立たない。むしろ、そのおかげか、財政危機にあえぐ大阪府の施設であるにもかかわらず入場無料というのは、大したものだ。大阪から南へ下る機会があれば、ついでにぜひ足を運んでいただきたい。なお、この博物館の情報は次のホームページで知ることができる。 |
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http://www.sayamaikehaku.osakasayama.osaka.jp/ |
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