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1978年、パリのフェスティヴァル・ドートンヌで開かれた、磯崎新(建築)と武満徹(音楽)による日本特集は、日本の伝統文化を新しく原理的な角度から説明するとともに、その延長上で60年代以降の前衛芸術を紹介して、センセーションを巻き起こした。とくに重要なのは、西洋近代の空間・時間概念とは異質な、日本特有の<間>の概念を、全体の基礎に据えたことだろう。日本の造形表現は、実体的な対象ではなく、対象と対象の<間>から出発して構成され、日本の音楽表現は、実体的な音ではなく、音と音の<間>から出発して構成される。こういう一貫したコンセプトをもとに組み立てられた日本特集は、たんなるエキゾチックな日本趣味を超えた日本文化の理解を促し、ロラン・バルトをはじめとする西洋の知識人たちにも大きな刺激を与えたのだった。 |
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この<間>展は、その後も欧米各地を巡回したが、日本で開かれることはついになかった。それがいま「間――20年後の帰還」展と称して、東京藝術大学の大学美術館で開かれている。実のところ、3階の展示(「うつ」と「ま」)は、この夏ストックホルムで開かれた展覧会の再構成で、かつての<間>展に参加していた4人のアーティストたちの近作を中心にしている。他方、地下二階の展示(「もどき」と「みたて」)は、この展覧会のためにあらためて構成されたもので、元の展覧会の雰囲気により近いものといえるだろう。それらをあわせ、観客は20年の<間>をおいて<間>展を追体験することができるのである。 |
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なかでも興味深いのが「もどき」の部屋だ。「もどき」のパラダイムは、伊勢神宮の20年毎の遷宮で始源を「もどく」こと――模倣的に再現することである。ギリシアの神殿が始源を永遠に現前させようとするものだとしたら、ここでは始源はそのつど影や幽霊のような形で反復されるにすぎない。実際、薄闇に覆われたこの部屋では、<間>展の参加者のうちすでに亡くなった倉俣史朗・土方巽・武満徹・高松次郎・中村外二の影が壁にプリントされており(それ自体、高松次郎による影を描いた作品の延長だ)、その下に、痩せさらばえてなお高貴な男の等身大の人形(四谷シモンの近作だ)が置かれている。私が訪れた日は、この部屋で田中泯が独舞を踊り、クライマックスで、これら死者たち――とりわけ先行者にして協力者だった土方巽の影にぶつかっていって壁に汗の染みを残す場面が、なかなか感動的だった。それもまた、ある意味で、田中泯による土方巽の「もどき」だったと言えるのかもしれない。 |
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この闇と影の世界から、3階の「うつ」の部屋に上がると、そこに広がるのはうつろにも明るい世界だ。「うつはた」の伝統に立って、古代の貫頭衣を現代化したかのように、チューブ状の一枚の布(A
Piece Of Cloth)をその場で裁断して服をつくってゆく三宅一生の「A−POC」。「うつはり」(中空の梁)の現代版とも言える透明なガラスやアクリルでできた倉俣史朗の家具。そして、文字通り「うつろひ」と題された宮脇愛子のワイヤーの彫刻が、静かな緊張を湛えて揺れながら無言のうちに時の移ろいを示している。これらのアーティストたちは、20年の時をへて、一切の無駄を削ぎ落とし、表現をぎりぎりまで研ぎ澄ませてきた。かつての<間>展がまだいくぶんかおどろおどろしい闇をはらんでいたとすれば、いまここにあるのはかぎりなく純化された美しくも空虚な世界だ。それを「さび」から「きれいさび」への変化と呼ぶこともできるだろう。原義とはいささかずれるが、そこにあるのは文字どおりきれいでさびしい世界だ。そして、それは意図せずしてこの空っぽな世紀末の空気を実に敏感に反映しているとはいえないだろうか。 |
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その奥の「ま」の部屋には、「うつふね」(中空の丸木舟)を巨大化した磯崎新の「なら100年会館」のワイヤーメッシュのモデルが置かれ、周囲の壁に<間>と関連するさまざまなコンセプトを解説したパネルが、内部にはかつての<間>展のドキュメントが収められている。これによって、この展覧会全体のコンセプトと、元の展覧会との関連をつかむことができる、というわけだ。 |
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過去の展覧会の再構成ということで多少の無理はあるし、「みたて」の部屋のようにいささか未整理な印象を受ける部分もある。しかし、驚嘆に値するのは、20年前の展覧会の再構成がかくも新鮮に見えるということだ。そこには、日本文化に対する深い問い――しかし、あくまで普遍的な観点から立てられたきわめてアクチュアルな問いがあり、アーティストたちによるさまざまな答えがある。21世の文化は、ちょうどいいタイミングで帰ってきたこの<間>展をくぐりぬけたところではじめて展開されてゆくことになるだろう。 |
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