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未来はわれわれを必要とするか
 ビル・ジョイがこの春『WIRED』4月号に発表した「未来はなぜわれわれを必要としないのか」というエッセイ(www.wired.com/wired/archive/8.04/Joy.html で原文を読むことができる)は、大きな反響を巻き起こし、それをめぐる議論はいまだに広がり続けている。テクノロジーの暴走に警告を発し、研究開発の規制を訴えるという内容自体は、さほど珍しいものではない。しかし、それを書いたのが、UNIXやJavaなどの開発に貢献してきた情報技術(IT)のパイオニアであり、サン・マイクロシステムズ社の共同創設者・兼・主任科学者であるばかりかITに関するアメリカ大統領諮問委員会副委員長も務める人物だったという事実が、注目を集めたのだ。
 ジョイによると、20世紀の大量殺戮兵器である核兵器(N)・生物兵器(B)・化学兵器(C)は、開発と生産に大規模な設備を要し、国家がそれを担ってきた。しかし、いま急速に進歩しつつある遺伝子工学(G)・ナノテクノロジー(N)・ロボット工学(R)は、21世紀の世界にそれに替わる脅威をもたらしかねない。たとえば、人工的につくられた自己増殖能力をもつミクロの病原体のようなものが環境に放たれると、それが引き起こす「白死病」をコントロールすることはきわめて困難だろう。(もちろんジョイは自己増殖能力をもつコンピュータ・ウイルスの問題を踏まえているが、それがたかだかコンピュータ・ネットワークをダウンさせる程度の事故しか引き起こさないのに対し、人工病原体のようなものがもたらす惨事はそんな程度では収まらないと考えている。つまり、Y2K問題で最悪のシナリオとして想定されていたような事態も、それに比べると何ほどのこともないというわけだ。)また、人間なみの人工知能(ジョイはそのために必要な計算力が2030年頃には達成されると予想する)と自己増殖能力をもつロボットが現れると、それが人類に取って代わることすら考えられるだろう。あるいは、人間がロボットと融合してサイボーグ化することも考えられるが、それはもはや人間とは別の存在になるだろう。21世紀にはそのような形での人間という種の消滅も視野に入ってくる――つまり未来はわれわれ人間を必要としなくなるかもしれないというのである。しかも、NBCと違って、GNRは、企業、さらには個人でも開発と生産が可能であり、それがテロリストなどの手に渡ることも容易に予想される。ここでジョイは、マンハッタン計画による原子爆弾開発が戦後もそのままとめどもない軍拡競争に突入していった歴史を思い起こしながら、いまこそGNR技術の研究開発にストップをかけ、手遅れになる前にその含意を広汎に吟味する最後のチャンスだ、と警告するのである。
 もちろん、すでに多くの批評が指摘するとおり、ジョイのエッセイはあまりにSF的な空想に基づいている面がある。また、目覚しい成果を上げたあと「中年の危機」にさしかかった技術者が、とつぜん「社会的責任」に目覚め、ダライ・ラマの教えなどを引きながら自制を説き始めるということ自体、いかにもアメリカ西海岸的な現象には違いないだろう。だが、ジョイは疑いもなく優秀な技術者であり、このエッセイでもけっしてラッダイト(機械打ちこわし派)の立場をとっているわけではない。彼は、GNRをはじめとする新しいテクノロジーの可能性を深く理解し、それがもたらし得る利益を十分に考慮している。その上で、いったん立ち止まって新しい技術の功罪を総合的に考え直すことを提案しているのだ。技術礼賛と技術否定の不毛な両極分解が続いてきたことを思えば、新しい技術の尖端に立つ技術者からのこのような発言は、少なくとも貴重な問題提起として受け止められるべきだろう。
 そういえば、サン・マイクロシステムズ社の上席研究員には、ITにおいて決定的に重要な暗号研究の領域で、公開鍵暗号という革命的な方式を(マーティン・ヘルマンとともに)発見し、国家によるプライヴァシーの侵害に暗号をもって対峙する立場から「盗聴と暗号化の政治学」を展開する『プライヴァシー・オン・ザ・ライン』という書物を(スーザン・ランダウとともに)書いたホイットフィールド・ディフィー――最初のサイファーパンクと呼ばれる――のような人物もいる。このような異色の研究者たちがIT業界の指導的な企業にあって自由な発言を続けているというのは、狭義の業績主義に縛られた日本のIT業界とはまったく違う、アメリカのコンピュータ文化の奥の深さをあらわすものだろう。私個人はジョイやディフィーの見解に異論がないわけではない。しかし、このようなコンピュータ文化こそ「IT革命」という無内容なスローガンばかりが叫ばれている現在の日本にもっとも欠けているものだと思うのである。

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