Critical Space Archive

マラルメに始まる
 先月までパリのオルセー美術館で没後百周年を記念して開かれていたマラルメ展は、小規模ながら充実したものだった。詩人の生涯と業績が、かれ自身の草稿や遺品、また、関連する文学者や芸術家の作品によって、多面的に浮き彫りにされる。多少ともマラルメに詳しい観客にとって特に新しい発見はなかったし、マラルメの名前くらいしか知らない一般の観客にとって草稿の類を中心とする展示は難解に過ぎたかもしれない。とはいえ、カザリス宛の書簡(1867年5月14日付)で「幸い私は完全に死んだ」という言葉が薄い鉛筆書きで綴られているのを間近に見るとやはり感動を禁じ得ないし、そうして不在となった主体を空虚な中心として綺羅星のような語群が万華鏡のように散乱する作品――とくにあの『骰子一擲』を壁一面にプリントした展示は眩暈を起こさせずにはいない。
 他方、この機会に刊行されたさまざまな書物について言えば、伝記的な研究が多く、理論的な研究ではさほど目立った成果はなかったように思われる。むしろ、注目されるのは、ドゥルーズに対する自らの位置を、いわばニーチェに対するマラルメの位置になぞらえてみせる、バディウの試みだろう*[1]。ドゥルーズの『ニーチェと哲学』[国文社]によれば、マラルメは骰子を擲げることによって偶然を肯定したが、ニーチェはさらに進んで偶然の必然をも肯定した――多だけではなく多の一を、生成だけではなく生成の存在(すなわち回帰)を肯定するように。ドゥルーズはそのような高次の存在の一義性を強調する。他方、そのような一義的存在を拒否するバディウは、(存在論化された)ニーチェに対しマラルメの側に立つことになるだろう。この対立は(東浩紀『存在論的、郵便的』[新潮社]における用語法とは僅かにずれるが)形而上学と否定神学の対立の典型であると言ってもよい。もちろん、マラルメ自身は、雑誌『最新流行』を出すといったジャーナリスティックな活動や、手紙の宛名を四行詩で書いて投函するといった文字通り「郵便的」な実験も試みているわけで、否定神学的な構図をはみ出すそうした側面に光を当てる点で詳しい伝記的な研究にも意味があるというべきだろう。
 ところで、この展覧会には「マラルメと音楽」という付属的なセクションがあって、ドビュッシーの『牧神の午後のための前奏曲』の自筆譜をはじめとするさまざまな音楽家の作品が展示されていた。そのなかでいちばん目立っていたのはブーレーズである。実際、飽和に近づいた全面的音列技法とケージのもたらした全面的偶然性の間で引き裂かれていた1950年代のブーレーズにとって、あらかじめ用意しておいた構成要素をアト・ランダムに並べ替えて万華鏡のように変容させてゆくというマラルメの『書物』の構想(それに関する遺稿はシェレールによって57年に刊行された)の発見は、新鮮な衝撃だったに違いない。今回コピーが展示されたシュトックハウゼン宛の未刊の書簡(57年9月28日付)では、ブーレーズはその発見を「エピファニー」とさえ呼んでいるのだ。そこから、「管理された偶然性」の手法が体系化されるとともに、マラルメの『書物』の音楽版とも言えるピアノ・ソナタ第3番(56〜57年)、さらに、マラルメの詩による『プリ・スロン・プリ』(57〜62年)が書かれることになるだろう。また実際、煌く星座のような音群を夜の虚空に散乱させてゆくブーレーズの音楽は、前世紀末の象徴主義的な雰囲気を欠いているにもかかわらず、あるいはまさにそれゆえに、どんな音楽よりもマラルメ的に響くのである。
 ブーレーズは、その後、直接マラルメに基づく作品を書くことはなくなる。だが、その音楽にとって、マラルメはつねに基本的なパラダイムでありつづけるだろう。最近ついにCD化された大作『レポン(交唱)』(81〜84年)も例外ではない*[2]。この作品では、中央のオーケストラのほか、2台のピアノ、ツィンバロン、グロッケンシュピール、ハープ、ヴィブラフォン、そして、それら6つの独奏楽器の音をリアル・タイムで電子的に変換したものを流す6台のスピーガーが、ホールの周囲に配置され、それらの間で多彩な交唱が展開されて、聴衆を万華鏡のような音響空間で包み込む。とくに、オーケストラの導入部の後、独奏楽器群が冷たい金属質の音の閃光を撒き散らしながら爆発的に介入してくる瞬間は、いつ聴いても戦慄的なまでに美しい。もっとも、この作品は長大かつ複雑に過ぎて、飽和状態に近い感じを受けるところがある。また、現在のCDのように2チャンネルしかないと、空間全体を包み込む音の響き合いをとらえることができず、作品の魅力の半ばは取り逃がされてしまう。にもかかわらず、これがおそるべき規模と精度をもった作品であり、ブーレーズの代表作のひとつであることは、疑いを容れない。そして、とくに独奏楽器群のどこか空虚でその分きらびやかな響きにおいて、それらの響きの万華鏡のような交錯において、この作品もまた疑いなくマラルメ的な相貌を帯びているのである。
 このCDには、もう一曲、『二重の影の対話』(85年)も収録されている。クラリネットのソロと、その電子的な「影」の対話として構成されたこの作品は、構造が単純な分だけ、音の変換と空間的な分散を明確に聴き取ることができる。複雑巧緻をきわめた『レポン』より、ある意味で単純明解なこの『二重の影の対話』のほうが、聴取においては効果的だと言えば、作曲者の努力に敬意を欠くことになるだろうか。
 この『二重の影の対話』はベリオに捧げられた作品だが、ブーレーズのCDと同時にベリオの『セクエンツァ』全13曲(58〜95年)のCDも発売された*[3]。ベリオといえば『シンフォニア』(68〜69年)の第3楽章で引用のコラージュによるポストモダン音楽の先駆けとなった技巧家であり、『セクエンツァ』シリーズではさまざまな独奏楽器のためにヴィルトゥオーゾ的な技巧を凝らした多彩な音楽を聴くことができる。それとの関連で、ベリオがヴァイオリンのために書いた『デュエット集』(79〜83年)にも言及しておこう*[4]。34曲からなるこの曲集は、きわめて技巧的な曲から、子どもでも弾ける単純な曲まで、実に多彩な広がりを見せる。キアラッパとアカデミア・ビザンチナによる録音でも、『セクエンツァVIII』を捧げられたキアラッパ本人がヴィルトゥオーゾぶりを発揮する曲もあれば、録音当時わずか11歳と14歳の少年(後者は作曲者の息子)が弾く曲もあるという具合だ。
 実のところ、あえてベリオの『デュエット集』に言及したのは、この音楽が近く来日するフォーサイスとフランクフルト・バレエ団の新作『workwithinwork(邦題:働き合う作用)』で使われているからである*[5]。この新作は、22人のアンサンブルのための作品でありながら、デュエットやトリオやカルテットの集積のように見える。オーケストラ曲なのに、あまりに洗練されていて、室内楽のように聴こえる、ちょうどそんな感じだ。実際、それらのナンバーのひとつひとつは、ぎりぎりまで磨き抜かれ、かつてない純粋性に達している。純粋というのは単純ということではない。そのコレオグラフィーはむしろ信じがたく複雑なのだが、それが極度に凝縮されることによって一見単純に見えるだけのことだ。いまやフォーサイスは、究極の迷宮とは直線であると喝破したボルヘスに近づいていると言うべきだろう。いや、あまりに精密な直線や鋭利な運動が目に見えないように、フォーサイスのバレエはほとんど不可視の域に近づいているとさえ言ってよい。ここでわれわれは、ふたたびマラルメに――とりわけバディウが『非美学小論』でマラルメから引き出した舞踏論に戻ることができる。それによると、演劇があくまでも意味に縛られているのに対し、舞踏は意味に先立つ純粋な出来事に向かうのだ。それは、既成の知のコードを逃れて「骰子一擲」としての純粋な思考に向かうことであり、同時に、目に見えるアクチュアルな運動のコードを逃れて不可視のヴァーチュアルな運動に向かうことでもあるだろう。そのような裸形の出来事としての舞踏がマラルメの夢見たものであるとすれば、その夢は、一世紀の後、フォーサイスによって――そう、加算的総合に向かうブーレーズ以上に、減算的純化に向かうフォーサイスによって、ほとんど実現に近づいたかに見える。

PREVNEXT PAGE TOP
Copyright © 2001 Critical Space Organization.  All rights reserved.
批評空間アーカイヴに戻る 批評空間アーカイヴに戻る
浅田彰アーカイヴに戻る 浅田彰アーカイヴに戻る
Top Page に戻る Top Page に戻る