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淀川長治――映画史全体をまるごと体現していたかのようなこの偉大な批評家の死は、映画そのものがまた一歩死に近づいたかに感じさせる出来事だった。全身をもって映画と触れ合い、そこで味わった細部という細部を記憶にとどめる。すでにフィルムが失われて、彼の記憶のなかにしか存在しなかった映画さえあるくらいだ。もちろん、その記憶が完全に正確だったわけではない。だが、最近の批評家や研究者が映画を正確に分析できるのは、ヴィデオというある意味で非映画的な媒介のおかげであり、そのような媒介なしにあくまでも直接映画と触れ合おうとした点で、淀川長治は純粋に映画の時代の批評家だったのである。また、そうやって全身で体験した映画を語るとき、かれの言葉はもちろん、表情や身振りのすべてが、映画への愛を、そして愛ゆえの厳しさを、実に雄弁に物語っていた。どんなつまらない映画でも、見るべきポイントを的確に指し示す。しかも、全身の身振りを見ていると、かれが本当にその映画を評価しているかどうかがすぐわかるというわけだ。すぐれた批評家という所以である。そして、繰り返すが、この偉大な批評家の死とともに、齢百年を超える映画そのものもまた一歩死に近づいたかに感じられるのである。 |
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他方、フランスでは、ジャン=リュック・ゴダールが、『映画史』全8巻をいよいよ1999年に正式公開する予定であり、それに先立って、全4巻セットのヴィデオ・カセット、そして、これまた全4巻、976ページにおよぶヴィジュアル・ブックが発売された。同時に、各種のテクストやインタヴューの類を集めた『ゴダールによるゴダール』も、50年から84年にいたる第1巻に続き、84年から98年にいたる第2巻(これまた512ページに及ぶ大冊だ)が出た。第1巻にほぼ対応する部分が『ゴダール全評論・全発言』I・II(筑摩書房)としてやっと邦訳されたところだというのに、これではいつまでたっても追いつけそうにない。なんという旺盛な仕事ぶりだろう。 |
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ゴダールは60年の『勝手にしやがれ』で一躍「ヌーヴェル・ヴァーグ(新しい波)」の旗手となった。だが、映画批評家として出発し、それまでの映画――とくにアメリカ映画を知り尽くしていたゴダールにとって、ある意味で、映画はすでに終わった芸術だったのではないか。撮られるべきすべての映画はすでに撮られた。しかも、まったく新しい映画が撮られねばならない。そんな逆説から出発したゴダールは、映画史の森をジグザグに横切り、引用とパロディを繰り返しながら、辛うじて映画を撮り続けてきたのだ。そんな彼が70年代に入って映画について考えるための媒体としてヴィデオを採用したのは不思議なことではない。ゴダールは、映画とヴィデオの関係を、カインとアベルの関係(あるいはむしろその逆)にたとえている。ヴィデオは映画を殺し、容赦なく解剖するだろう。そうやって殺されることによって、しかし、映画はナルシシスティックな過去の夢の閉域から解放され、ふたたびアクチュアルなものとして立ちあらわれてくる。ヴィデオによる『映画史』のプロジェクトは、そのような戦略の最高かつ最大の成果にほかならない。 |
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88年に始まったこの『映画史』のプロジェクトは、日本でも1a、1bだけが何度かTV放映されて、ある程度は知られている。だが、4bにいたる8巻が出揃ったのはつい97年のことだ。私は、その夏、カッセルのドクメンタXに出かけたのだが、展覧会そのものにさほど魅力を感じなかったにもかかわらず、なぜわざわざ足を運んだかといえば、そこでゴダールの『映画史』の全巻がヴィデオ上映されていたからだ――それも、ダン・グラハムのヴィデオ・ブースでたまたま上映される作品として。私はそのブースでまるまる半日を過ごし、『映画史』全巻を見た。そして、それなりに話題性に富んだ大規模な展覧会全体の印象が雲散霧消してしまうほどの衝撃を受けたのである。もちろん、1a、1bも興味深い作品にはちがいない。だが、2以後になるとヴィデオによる映像操作は飛躍的に洗練され、実に多彩な展開をへて、4bの黒味を中心とするメランコリックな省察へと収斂してゆくのだ。それが映画史の客観的な記述としてどれくらい正確かつ広汎なものかはどうでもいい。それは、彼なりの仕方で映画史を体現してきた偉大な映画作家の主観的省察――最後にはほとんど詩の状態に近づいて行く省察なのであり、またそれゆえにたんなる一般性を超えた普遍性をもつのである。ともあれ、映画がすぐれて20世紀の芸術だったことを思うとき、この『映画史』が20世紀末に公開されるというのは、いかにも象徴的なことと言わねばならない。 |
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ゴダールの『映画史』は、20世紀のモニュメントとして、この世紀末に屹立するだろう。ヴィデオという非映画的媒介を排除するのではなく、ヴィデオでいったんずたずたにすることによって映画史を新しく蘇らせる。とはいえ、そのモニュメントもまた、100年を超える映画史の総括――言い換えれば一種の墓碑のようなものと見えなくもない。21世紀に映画は生き延びることができるのか。ヴィデオや、他の電子映像と合体して、変貌を繰り返していくことになるのか。それは、しかし、これから決せられるべき運命である。 |
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Jean-Luc Godard, |
Histoire(s) du cinema (Gaumont)
Histoire(s) du cinema (Gallimard)
Jean-Luc Godard par Jean-Luc Godard II (Cahiers du cinema) |
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| [付記] |
『映画史』がヴィデオで発売された段階では、1aと1bも全面的に手直しされ、ドクメンタXの段階ではまだ黒味の多かった4bもはるかに手の込んだ形になって、全体として驚くべき完成度に到達していた。 |
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