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パリは古典美術のルーヴル美術館と現代美術のポンピドー・センターに続いて近代美術のオルセー美術館をつくったが、古典美術のナショナル・ギャラリーと近代美術のテート・ギャラリーを擁していたロンドンは、後者をテート・ブリテンと改称し、あらたに現代美術を専門とするテート・モダンを開設した。この大規模な現代美術館は、去る5月にオープンして以来、予想を大きく上回る観客を集め、すでに新しい名所として定着したかに見える。このテート・モダンをきっかけとして、現代の美術と建築の置かれている状況を考えてみよう。 |
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まず注目されるのは、テート・モダンが年代順の展示を排し、「歴史」「風景」「身体」「静物」という四つの主題にそった展示を行なっていることだ。それは時に興味深い出会いを可能にする。たとえば、「風景」のセクションの一部屋では、リチャード・ロングが床に赤い石を並べて巨大な円をつくり、壁一面に川の泥をはね散らかしてペインティングを行なっている(彼は日本でも数年前に世田谷美術館や国立京都近代美術館で同じような作品を展示した)。そして、その反対側の壁に、クロード・モネの睡蓮の絵がさりげなくかけてあるのだ。異なった歴史的文脈に属する作品をテーマによって集めてみせるこのような手法には当然批判もあるが、このケースに関するかぎり、ロングの実験を風景画の伝統と関連づけるとともに、モネの一見穏やかな画面に内在していたただならぬ強度を明るみに出すことに成功していると言えるだろう。しかし、もちろん、そのような成功例ばかりではない。実のところ、いかにも古典主義的なこれらの主題によってモダン・アートを分類する試みには無理があり、展示が年代順になっていないこととも相俟って、いたずらに混乱を招く場面も多々見られるのである。 |
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そもそも、かつてモダン・アートと進歩史観は表裏一体だった。アートは、古い規範を次々に否定することで、自律性を獲得してゆく。その過程で、「何を描くか」(主題の問題)ではなく、「いかに描くか」(媒体に固有の表現の問題)こそが重要になる。19世紀からヨーロッパで続いてきたそういう前進運動は、20世紀に入ってついに抽象芸術に到達し、そこからアメリカに中心を移して、抽象表現主義からさらにミニマル・アートやコンセプチュアル・アートに至る、というわけだ。美術館も、このような進歩史観を大枠として、ほぼ年代順の展示を行なうのが定石だったのである。 |
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しかし、そのような前進運動の行き詰まりと、進歩史観に対する反省をへて、モダン・アートの展示もまた相対化と組み替えの時期にさしかかっている。現に、いま述べたような進歩史観の形成と普及をリードしたニューヨーク近代美術館(MoMA)も、今年いっぱいかけてコレクションをテーマ主題別に展示し直す試みを行なっているくらいだ。ただ、モダン・アートの進歩の物語に替わり得る大きな枠組みはまだ明確になっておらず(ジャン=フランソワ・リオタールの言うように「大きな物語」の解体こそが「ポストモダンの条件」だとすれば、そもそもそのような枠組みは求めるべくもないだろう)、美術館の展示全体が数多くの企画展や個展の集積に解体して、一般の観客をいたずらに混乱させているというのが、現状ではないだろうか。いや、もっと厳しい批判もある。たとえばフランコ・モレッティの結論はこうだ。「なぜ主題主義か? それが抽象を重視しないからだ。古く難解なモダニズムなんかもういい、それよりポストモダンな時代の具象のリヴァイヴァルに加わろう。こうして、文学と音楽(プロットの回帰、メロディの回帰)に続き、反モダニズムの反動は完成を見た。視覚芸術におけるモダニズムの最後の砦が白旗を掲げたのだ。これこそMoMA2000の唯一の『前代未聞』の功績である。」(New
Left Review, July/August 2000) |
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テート・モダンの場合、四つの大きなブロックに分けた展示を採用しているため、MoMAほどの混乱はないかもしれない。だが、その安易な主題主義への回帰は、やはりこのような批判を免れるものではないだろう。モダニズムの時代だった20世紀の終わりに、モダン・アート・ミュージアムは大きな困難に直面し、ややもすると後退を余儀なくされているように見える。 |
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ところで、建築の領域でも同じようなモダニズムの前進運動があったことは言うまでもない。建築にとって本質的ではない様式性や装飾性を否定して、建築を機能の束へと還元してゆくこと。77年にパリのまっただなかに工場のような姿を現した現代芸術の殿堂ポンピドー・センター(レンゾ・ピアノ&リチャード・ロジャース設計)は、そのようなモダニズムのひとつの頂点と見てもよい。だが、そのとき時代はすでに歴史的様式・民俗的様式・大衆的様式などのコラージュとしてのポストモダニズム建築の方に大きく傾いていた。97年にオープンしたグッゲンハイム美術館ビルバオ分館(フランク・ゲーリー設計)の、世界一ゴージャスなハリボテ建築とも言うべきデザインは、そのようなポストモダニズムのひとつの頂点と見てもよい。 |
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では、テート・モダンはどうか。おもしろいのは、この美術館が昔の発電所を改装してつくられたということだ。改装を担当したスイスの建築家ジャック・ヘルツォーク&ピエール・ド・ムーロンは、建築デザインによって自己主張するより、むしろ建築デザインをできるだけ環境の中に解消していこうとする傾向で知られる。この種の改装計画にはうってつけと言えるだろう。実際、彼らは発電所の巨大なスペースを生かしながら、うまく光を取り込み、いい意味でニュートラルな展示空間をつくりだすのに成功した。こうして、テームズ河畔に残骸をさらしていた産業社会の遺物は、情報社会にふさわしい一大文化センターとなって甦ったのである。 |
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ヘルツォーク&ド・ムーロンの控えめなデザインの中に、ある形でのモダニズムの継続を見ることもできなくはない。だが、それはむしろ、「建築」の時代から「改築」の時代への転換を物語っているのではないか。実際、デザインがモダンであれポストモダンであれ、新たに巨大な建築を建てることは、特殊な場合を除き、バブルのただなかにある都市でしかもはや不可能だ。むしろ、既存の建築を別のものに作り変えてしまう微妙な介入の手法を磨くこと。テート・モダンのデザインのなかに、われわれは建築家のそういうサヴァイヴァル術を見て取ることができるだろう。 |
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