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4月20日、ジュゼッペ・シノーポリがベルリン・ドイツ・オペラでヴェルディの「アイーダ」の指揮中に心筋梗塞で倒れ、そのまま54歳の生涯を閉じた。ヴェルディのオペラでスターダムにのし上った指揮者が、ヴェルディ没後百年の今年、ヴェルディを指揮していて倒れる。しかも、かつてベルリン・ドイツ・オペラの首席指揮者に決まっていながら総監督ゲッツ・フリードリヒと衝突してやめた彼が、昨年亡くなったそのフリードリヒを追悼する公演の最中に。あまりにもできすぎた暗合と言うほかはない。マーラーがフロイトのカウンセリングを受けたことがあるのは有名な話だが、シノーポリはいわばマーラーとフロイトを一身に兼ねたような存在だった。このイタリア生まれのユダヤ人の中には、溢れんばかりの歌を湛えた巨大な自我と、そのような自我を冷徹に分析してやまないもうひとつの自我とが、際どい緊張を孕んで同居していたのだ。彼の指揮棒の下では、プッチーニの通俗的なオペラさえ人間の深奥に走る亀裂を露呈するものとなり、ヴェーベルンの12音音楽さえロマン派の豊麗な歌の残響として鳴り渡った。そして、あの忘れがたいマーラー。あれほど歌に満ちてしかも精密なマーラーを、私は他に聴いたことがない。こうした二面性が十分に理解されなかったためか、シノーポリは「知性派」として敬遠されることもあった。もちろん、若いころ精神医学を修め、近年も考古学に打ち込んで古代エジプトの象形文字を読み書きするまでになったシノーポリほど知性的な指揮者は少ない。だが、音楽家が知識人であるのは当然のことだ。彼は、音楽家に職人に徹することを要求する消費社会の要求に抗して、そんな当然のあり方を貫いたまでなのである。さらに強調したいのは、そのような「知性派」のマスクの下に、実は熱い情念のマグマがたぎっていたことだ。ステージでそれを爆発させた後、オペラの幕間ですら疲労困憊してソファに横たわる彼の姿を、私は何度も見た。そんな私は、劇的な死の知らせに衝撃を受けながら、実は「来るべきものが来た」という感慨も抱いたのである。80年代にフィルハーモニア管弦楽団とのマーラーでセンセーションを巻き起こしたシノーポリは、ベルリン・ドイツ・オペラのポストを蹴ったあと、92年から最古の伝統を誇るドレスデン・シュターツカペレに移り、このオーケストラと関係の深かったR・シュトラウスのオペラを中心に、いっそう深い音楽を奏でるようになった。バイロイトのヴァーグナー音楽祭でも立役者の一人として活躍し、去年から新演出による<ニーベルングの指輪>が始まったところだった。唐突に断ち切られた多くの計画を思うと残念でならない。だが、シノーポリの54年の生涯は常人の何倍も充実したものだったのだ。私としては、この巨大な彗星と遭遇しえた僥倖に感謝し、残されたすばらしい録音の数々に、この夜、あらためて耳を澄ませたいと思う。 |
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