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「ニューヨーカー」4月9日号に「東京物語」と題する石原慎太郎のインタヴュー記事が載っていた。書き手は三島由紀夫の翻訳や評伝で知られるジョン・ネイサン。それだけに、粗野な反米ナショナリストとして知られる石原が実はそれなりに教養のある文化人であることが強調されている。たとえば、ラウシェンバーグやクリストの作品と並んで、慎太郎自身の描いた裕次郎の肖像が飾られた知事室。三島由紀夫との交友の回想。もちろん、石原は三島の政治がもっぱら審美的関心からくる「ジョーク」でしかなかったと断じてみせる。それに同意しつつ、ネイサンは続ける。「三島の愛国主義は審美的なもので[…]、政治的現実とはほとんど関係がなかった。石原の今日の政治を形づくるナショナリズムは、それとは違うが、おそらく全面的に違うというわけではない。石原の考えには、主観的で、並外れて隠喩的なところがあるのだ」。この判断は正しいと思う。というか、石原はおそらく三島以上に単純なロマン派なのであり、自己表現のために政治という派手なゲームを選んだに過ぎないのだ。だからといって、石原が政治的に無意味だというのではない。かつてベンヤミンはファシズムの中に「政治の美学化」を見た。それと似たようなことがさらに低劣な茶番劇として反復されない保証は、どこにもないのだ。現に、議会政治の混迷がいつ果てるともなく続く中、国政の場で石原の再登場を待望する声は根強い。国政に復帰する計画について尋ねたネイサンに、石原はこう答えている。「真珠湾を攻撃しようとしているとき、よほどのバカじゃなければ、それを先に言ったりはしない」。いかにも石原らしい答である。 |
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