Critical Space Archive

内田光子のシェーンベルク
 私は内田光子のピアノに感心したことがかつて一度もなかった。彼女の得意とするモーツァルトにしても、フレーズのひとつひとつに過剰な意味や感情を付与しようとするその演奏は、ほとんど非人間的な速度で疾走するモーツァルトの音楽を「人間的な、あまりに人間的な」圏域に引き戻してしまうものと思われた。だが、その内田光子によるシェーンベルクのピアノ協奏曲の新しい録音(フィリップス UCCP-1016)は、この曲のほとんど決定的と言ってよい名演である。モーツァルトのように一聴しただけで美しい音楽において、内田光子の演奏が不要な厚化粧を感じさせたとすれば、複雑なメカニズムが無機的な形で剥き出しになったようなシェーンベルクの音楽は、彼女の細心の演奏によってはじめて、細部にいたるまで充実した意味を帯び、深いロマンティックな感情を湛えた音楽として立ち上がってくるのである。また、ピエール・ブーレーズの指揮するクリーヴランド管弦楽団が、おそるべきパワーと精度によって、「百人の奏者のための室内楽」と呼ばれもしたこの曲を、完璧に演奏してみせる。こうして、素晴らしいピアノとオーケストラが一体となり、すぐれた録音にも助けられて、この曲の決定盤が誕生することとなったのである。スヴャトスラフ・リヒテルは、66歳のときあるリサイタルでシェーンベルクの「ヴァイオリンとピアノのための幻想曲」を聴いて、「驚くほど複雑な作品を説得力溢れる演奏で紹介することに成功した演奏会。シェーンベルクの幻想曲はついに私にとって明快なものとなった」と記している。それと同じことを、私もいま言うべきだろう。シェーンベルクのピアノ協奏曲はついに私にとって明快なものとなった――私がかつて一度も評価したことのなかったピアニストのおかげで。最終的に言えば、私はこの曲をシェーンベルクの軌跡の中でも反動的なものと判断する。だが、それは偉大な反動だ。そう、新ウィーン楽派という名のとおり、シェーンベルクのピアノ協奏曲は、ベートーヴェンやブラームスのピアノ協奏曲の系譜の上にあってその伝統をしめくくる巨大なモニュメントだったのだ。この新しい録音は、そのことを疑う余地なく示している。

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