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田中康夫が長野県知事になったので、「憂国呆談」(幻冬社)に続き、「神戸から長野へ――新・憂国呆談」(小学館)が急遽刊行された。彼と私が毎月続けている対談(現在は「GQ」で連載中)の記録だ。前の本が彼の主導した神戸空港建設反対の署名運動で終わっているのに対し、今度の本は彼がそこから長野県知事選挙に向かう過程に対応している。それにしても、ゆっくり見直しもせず、連載されたものをほとんどそのまま本にしたので、誤解を招く表現だらけだ。たとえば、保守派に転向してやたらと進歩主義を批判する全共闘世代の論客たちを批判するくだりなど、「吉田健一のように貴族的な作家が『優雅な衰退』を口にしてもサマになったけれど、大衆そのものの顔をした団塊の世代の連中がそんなことを言うのはちゃんちゃらおかしい、鏡で自分の顔を見てからものを言え」といった調子だ。もちろん、私たちは自分たちの顔がいいと言っているのではない。むしろ、私は言わばチビのメガネザルとしてなんとか少しでも進化するように頑張りたいと思っているのであり、そういう立場から反進歩主義を批判しているのだ。私は、それが正論だと確信する。だが、正論を語るのは難しい。偉そうに正論をふりかざすと、それこそ優等生の生徒会長の偽善のように響きかねない。そこで、あえて誤解を招きかねない表現を多用し、時には偽悪的なポーズもとりながら、正論を語るというのが、私たちのとった戦略だった。誤解したい者は誤解すればよい。だから、大衆そのものの顔をして貴族的保守主義を気取るような連中には、いま言ったような「弁解」を一切ぬきにして繰り返そう。いっぺん自分の顔を見てからものを言え! |
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