Critical Space Archive

大江健三郎の「取替え子」
 そうだ、この人はやはり作家という宿命を生きているのだ。大江健三郎の新作「取り替え子」(講談社)は、読む者にあらためてそう感じさせる、異様なまでの迫力をもった作品だ。愛媛県の山村に生まれ、松山の高校に進んだ大江健三郎は、そこで伊丹十三に出会って強い影響を受け、やがてはその妹と結婚するにいたる。その義兄の自殺とそれをめぐるスキャンダル騒ぎは、作家に強い衝撃を与えたらしい。それを機に書かれた新作には、自分たちを批判し追い詰める世間への怒りが満ち満ちている。語り手(大江健三郎)の息子あかり(大江光)について、「最近ニューヨークに本拠を置く日本人の作曲家兼俳優(坂本龍一)が、ポリティカル・コレクトネスで知的障害者の音楽を押し出されてはたまらない、と最先端の文化英雄(浅田彰)相手に話していたが」などという台詞も出てくる。私はそのとき坂本龍一と話したこと(重い障害をもつ子どもを立派な大人にまで育て上げたことはパーソナルには素晴らしいことで感嘆に値するものの、そのこととアーティスティックな評価は別であり、大江光の音楽はあきらかに大江健三郎の文学のような普遍性を持たない)をまったく撤回する気はないが、それに対する大江健三郎の怒りを理解し、尊敬しさえする。驚くべきことは、時として正当な、だが時として被害妄想に傾く場合もある、いずれにせよ個人的なレヴェルでの生々しい怒りと悲しみから出発しながら、この小説が見事な普遍性をもった作品として立ち上がってくることだ。残された録音テープを通じて死んだ義兄と対話を続けながら、松山で共に過ごした少年時代――ホモファシズム(アンドリュー・ヒューイット)的な性と政治の刻印を帯びた――へと遡行してゆく過程は、それ自体としてスリリングであるとともに、作家のこれまでの仕事を新しい視点からとらえなおす一種の文学的総合としても注目される。間違ったところから出発し、間違った根源(の隠蔽)にたどり着いている? いいではないか、その遡行過程がこれほどの迫力をもっているのなら。傑作かどうか判断するには、この作品はまだあまりに生々しい。だが、それが迫力に満ちた問題作であることは、だれもが認めるだろう。そう、大江健三郎はいまなおわれらの作家なのだ。

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