層としての学生運動 全学連創成期の思想と行動
武井昭夫 著
本書は、戦後に全学連(全日本学生自治会総連合)を組織した著者自身による、謙虚な回顧と厳密な検証である。一般に、戦後日本の学生自治会は、共産党の指令でできあがったものであるかのように思われているが、実はたえずそれに抵抗しながら作られたのである。そのとき、理論的にも実践的にも中心となって活動したのが著者であった。
マルクス主義者は、学生はプチブルジョア的階級であり、ゆえに、労働者階級を中心にした革命運動に向けて自己否定すべき存在であると見なした。学生運動はたんにそのための手段でしかなかった。それに対して、著者は学生運動に固有の意義を与えようとした。
学生はたえずいれかわるとはいえ、階級とは異なる、一つの「層」としてつねに存在する。そして、学生層は観念的であるとはいえ、階級的利害を超え、政党の利害を超えた普遍的な理念を追求しうる。それが「層としての学生運動」という理論であった。
一九六〇年の安保闘争に至るまで、このような「自治会」の原則が働いていた。たとえば、小さなデモやストライキをやるためにでも、クラスから代議員大会にいたるまで討議の積み上げが徹底的になされたのである。しかし、その後に、自治会は諸党派(セクト)が独占するものとなった。六〇年代末の「全共闘」は、そのようにセクトに占拠されてしまった自治会を否定して、直接的な民主主義を目指したものであるが、それもまもなく諸セクトに従属するものとなり、結果として、学生運動一般が否定的に見られるようになったのである。
どこの国でも、何か事があれば、学生が集会やデモをやる。しかし、今日の日本では、異様なほど何もおこらない。その原因の一つは、かつて存在したような討議にもとづく自治のシステムが完全に消滅してしまったことにある。それを取り返すことはできないだろうか。何も無かった戦後日本の中で学生運動を創始した著者は、それは可能である、という。本書はまさに「層としての学生」に向けられている。
柄谷行人 |2005.7.10 |朝日新聞 書評欄掲載

