精神病院を捨てたイタリア―捨てない日本

「地域精神保健」という試み

 著者は元新聞記者で、1970年にアルコール依存症を装って精神病院の鉄格子の中に入り、その体験を朝日新聞に「ルポ・精神病棟」として連載した。それは地獄のような世界であった。その後も著者は、この“地獄”をなくすにはどうすればよいかを模索してきた。いろんな改革案に出合ったが、それらはあくまで精神病棟の存在を前提にしたものだ。80年代に、著者は画期的な方法を知る。それは精神病棟そのものを廃止し、そのかわりに、地域精神保健センターを作るというものである。

 これは、イタリアの精神科医フランコ・バザーリアが60年代に始めた運動である。精神病棟の廃止に対して、病人が凶暴になったらどうするのか、という反論がある。しかし、それは概して、精神病院に強制的に入れられたり拘禁服を着せられたりする結果、生じる反応である。原因と結果がとりちがえられている。また、精神病院がなければ病人は治癒しないのではないか、という反論がある。しかし、精神病院でも病人が治癒するわけではない。大切なのは、たとえ病気がなおらなくても、彼らが一般社会で生きていける環境を作りだすことである。バザーリアが始めた運動は、それを実現した。

 地域精神保健システムは、イタリアだけでなく、60年代に世界的に広がった傾向であった。たとえば、68年にイギリスの医師デービッド・クラークが世界保健機関(WHO)から委嘱されて来日し、精神病棟を減らすように勧告している。日本側はこれを無視した。その結果、日本は現在、経済的先進国の中で人口当たりの精神病棟が格段に多い国となった。最近は「地域精神保健の時代到来」と叫ばれているが、本質的には何も変わっていない。

 一方、イタリアでは、20世紀の末には保健省管轄のすべての精神病院が閉じられた。この本の表題は、日本とイタリアの違いがいかにして生じたかを示すものである。しかし、本書には、日本にも、数少ないながら、地域精神保健センターの試みが各地でなされていることが紹介されている。

2009.12.13 朝日新聞書評欄掲載