ドゥルーズとガタリ 交差的評伝
対照的な2人 思想史の事件
フランスの現代思想は1960年代から世界中に影響を与えた。構造主義者やポスト構造主義者と呼ばれる、大勢の思想家の中で、最もユニークなのは、ドゥルーズとガタリであった。それは、彼らがたんに独自で際立っていたからではない。『アンチ・オイディプス』や『千のプラトー』のようなインパクトをもった著作を、共同で書いたからである。共著を書いた思想家は少なくない。しかし、これらの仕事には、彼ら単独の著作にはなく、したがって共同作業のみがもたらした何かがあった。そして、このことが、何にもまして、思想史における事件であったといえる。
この2人に相似したところがあったわけではない。むしろ、対照的なほどの違いがあった。ドゥルーズは、喘息(ぜんそく)もちで片肺の思索者タイプ、ガタリは、活発すぎるほどハイパーアクティブな活動家である。このような2人が1969年から91年まで一緒に著作を書いたことは、奇跡のように思える。
2人を結びつけたのは、68年5月の革命であった。ガタリはパリ近郊の精神病院を中心にした政治的活動の過程をへて、ドゥルーズは孤立した思想的営為を経て、遭遇したのである。彼らは親密であったが、互いに敬称で呼び合うような距離を保った。それは彼らの関係を、個人的なものに解消しないためであろう。
今日、ドゥルーズについて論じる人たちには、ガタリを無視する傾向がある。だが、それは歴史を消すことである。著者はガタリの意義を強調する。著者が描くのは、ドゥルーズやガタリというよりも、彼らが交差するところに生じた歴史的世界なのである。もちろん、本書には、ドゥルーズ哲学の入門書といった側面もある。しかし、大部の本書を一気に読ませてしまう魅力は、何といっても、ガタリにある。たえず新たな政治組織をつくり、たえず恋をし、落ち込み、舞い上がる、痛快かつ滑稽(こっけい)でもの悲しい人物。やはり、伝記に向いているのは、考える人や書く人ではなく、行動する人である。
2009.11.8 朝日新聞書評欄掲載

