印象派はこうして世界を征服した
登場の初めから 美術市場が前提
1980年代後半の日本に、フランス印象派絵画を買い集めるブームがあった。その中でも有名なのは、一人の日本人がゴッホの絵画をオークション史上最高の価格で落札した事件である。それは大昭和製紙の名誉会長であったが、特に世界の美術界を震撼(しんかん)させたのは、「自分が死んだら棺の中にいれて一緒に燃やしてくれ」という彼の発言であった。それはバブル時代の日本人の意識を象徴する言葉だといってよい。当時私は、日本人はなぜかくも印象派を愛好するのか、と思った覚えがある。印象派の形成において日本の浮世絵が貢献したという因縁がある。しかし、そんなことで、このブームを説明することはできない。多くは、脱税や賄賂(わいろ)の手段として買われたのである。
とはいえ、印象派の絵を投機のために買うのは、日本人が初めてではない。美術作品の競売人(オークショニア)によって書かれたこの本を読むと、その間の事情がよくわかる。印象派絵画を多額の金銭と同一視する見方は、1960年代後半から一般に定着していた。新たに財力を得た人々が、印象派絵画を、ステータスシンボルとして、同時に、値上がりする資産として買うようになったのである。では、なぜ他の絵画ではなく、印象派なのか。そして、それはいつ、いかにして始まったのか。本書はそれを解明しようとするものだ。
印象派は登場した当初から、猛烈な非難を浴びた。それ以後も、前衛的な美術が登場するたびに攻撃された。しかし、それは印象派出現の際に起こったリアクションの反復にすぎない。印象派の出現は、確かに、画期的なものであった。それまでの絵画は題材において、何か宗教的・政治的な意味とつながっていたが、印象派絵画にはまったくそれがない。そのことは、印象派の画家が王侯貴族のようなパトロンをもたず、ブルジョアのコレクターを相手に制作したことと関連している。ブルジョアのコレクターはその財力によって、王侯貴族を真似(まね)ようとしたのである。その意味で、印象派絵画は最初から、ブルジョアの社会的ステータスを高める機能を果たしたといえる。
芸術家は市場に対抗するという通念がある。しかし、そんな芸術家は印象派以前にはいなかった。彼らは市場に向かって制作したのではないからだ。彼らがパトロンに支えられた職人(アーチザン)だとすると、印象派以後の画家は市場に支えられて初めて存在する芸術家(アーティスト)なのである。ゆえに、印象派とともに、アートディーラー、さらに、オークショニアが重要な役割を果たすようになったのは、偶然ではない。彼らこそ、印象派の美術市場をグローバルに形成したのである。その中でも興味深いのは、印象派の人気がまずアメリカで始まったこと、また、ドイツでは、ナチスが印象派を否定しながら、その経済的価値を認めて押収しようとしたこと、などである。
2009.9.27 朝日新聞書評欄掲載

