オスマン帝国はなぜ崩壊したのか

西洋への分裂した対応、日本でも

 1990年以後、旧ユーゴスラビアやイスラム圏で噴出する問題を考えると、かつてそれらを統合していたオスマン帝国(1299~1922年)に行き着く。オスマン帝国は、アナトリア地域にトルコ人が築いた国家が拡大したもので、イスラム教を中心としながらも、多くの民族や宗教を包摂する原理をもった「帝国」であった。第1次大戦の結果、それは多数の国家に分解され、トルコ人の共和国に縮小された。しかし、いきなりそうなったわけではない。オスマン政府は、西欧諸国やロシアによって侵食されるなかで、自ら西洋化し、「国民国家」の形態をとろうとした。もちろん、それはうまく行かず、結局、多くの民族国家に分解されていったのである。

 本書が論じているのは、オスマン帝国の近代化を担ってヨーロッパに留学したさまざまな知識人の群像である。彼らの言動は矛盾に引き裂かれていた。たとえば、国内では、その政治体制に反対し、新聞を発行し、小説を書き、言文一致のトルコ語を創出する。西洋に対しては、イスラム教を擁護し近代西洋思想を批判する。現在、イスラム圏で支配的なイスラム主義の論調は、この時期に形成されたといえる。むろん、近代西洋に対する分裂した対応は、彼らに固有のものではない。それは、「脱亜入欧」や「和魂洋才」といった言葉が示すように、幕末・明治の日本人にもあった。というより、今もある。日本人は今あらたに、アジアか西洋かの選択を迫られているからだ。

 同様に、共和国になったのちも、トルコはオスマン時代の問題をかかえている。アナトリア地方に限定されたとはいえ、そこも多民族的であるから、今も深刻な少数民族問題が残っている。また、彼らは欧州連合(EU)に入ることを希求しているが、承認されないままである。くりかえすが、このような分裂は、われわれにとって疎遠な話ではない。本書は、アクチュラら代表的な人物たちの言動に焦点を当てることで、トルコ近代史を身近なものと考えさせてくれる。

2009.9.6  朝日新聞書評欄掲載