先史時代と心の進化
コリン・レンフルー 著 | 溝口孝司 監訳
先史時代とは書かれた歴史以前の時代である。本書は「先史学」自体の歴史をたどり、最新の成果を批判的に紹介し、さらに「世界先史学」から「世界歴史学」への発展を展望するものである。高度なレベルであると同時に、初心者にもわかりやすい入門書である。
先史学がはじまったのは、厳密には、1859年英国の学会で、「人類の原始」という考えが受け入れられた時である。同じ年にダーウィンの『種の起源』が出版された。今では自明の事実のように思われているが、先史学はきわめて歴史の浅い学問なのだ。この学問を進めたのは、歴史学というより、自然科学であった。第一に、地質学である。それが遺物の年代を区別することを可能にした。つぎに画期的なのは、放射性炭素年代測定法の登場である。これによって、年代が特定されるようになった。
近年ではDNA解析の出現である。それによって、少数の現生人類が約6万年前にアフリカを出て、地球上に広がったことが判明した。以来、人類は各地に四散し、ほとんど互いの交通がないままに、それぞれ独自の発展をたどった。さらに1万年前に農業革命(新石器革命)がおこって、今日におよんでいる。しかし、アフリカから出た時点で、人類の身体と脳はほぼできあがっていた。また、道具製作、火の使用と調理、衣服や装飾品を作る技能、そしておそらく造船技術といった、共通の文化資産をもっていた。
農業革命(国家社会の出現)は飛躍的な出来事だといわれる。が、著者によれば、むしろ最大の謎は、当初から高度な知的能力をもっていた現生人類がそこにいたるまでに、なぜそんなに時間がかかったのか、にある。この謎を解く鍵は、「心」の次元に求められる。といっても、それは文字、貨幣、共同体、宗教といった諸制度の問題にかかわっている。実は、この辺りに来ると、逆に私には物足りなく思われるのだが、とにかく、「世界先史学」から「世界歴史学」にいたる道がここにあることはまちがいない。
柄谷行人 |2008.11.16 |朝日新聞 書評欄掲載

