朝鮮通信使をよみなおす 「鎖国」史観を越えて

仲尾宏 著

 近年、日本と中国や韓国・北朝鮮との関係が緊迫してきている。これをたんに「戦前の回帰」として見るのは不十分である。たしかにそれは歴史的な反復ではあるが、そのような反復は以前からもあり、もっと根深いものだ。本書は、「朝鮮通信使」の史実を、東アジアに存する反復的な構造を見すえつつ読みなおすものである。
 東アジアには、中国を中心にする冊封体制という「華夷秩序」が存在した。その中で、日本と朝鮮は、中国との関係において同格の位置にあった。それを覆したのが、豊臣秀吉の朝鮮侵略である。むろん、それは失敗しただけでなく、国内でも没落する結果に終わった。しかし、豊臣側から権力を奪った徳川家康は以後、甚大な被害を与えた朝鮮との関係を修復せねばならなかった。それは、中国との貿易を再開するために、つまり日本が東アジアの政治・経済システムに復帰するために、不可欠だったのである。
 徳川側の「反省」はあいまいなものであったが、李朝側はそれを受け入れた。東アジアの秩序の再建と平和を優先したのだ。その結果、朝鮮側から「通信使」を送るという慣例が成立した。これはたんに外交儀礼の問題ではなかった。十二度にわたり、毎回五百人に及ぶ、朝鮮の一流の学者、医者、芸術家などが来日したからである。日本側も同じレベルの人たちが関与した。したがって、江戸日本の儒学、医学、文学、美術その他を考えるには、朝鮮通信使の研究が不可欠である。本書はそれを多様な観点から示している。
 徳川幕府が朝鮮に対してとった政策は、明治時代には、秀吉の侵略を「朝鮮征伐」として礼賛する声によって否認された。その結果が東アジア諸国への帝国主義的侵略であった。そこから再出発した戦後日本の政策は、ある意味で徳川の政策に似ている。ところが、現在は、明治以後の日本のやり方を正当化する声が高まっている。これは愚かしい反復である。これを免れるためには、東アジア諸国の関係構造を粘り強く組み変えていくほかない。

柄谷行人 |2006.12.3 |朝日新聞 書評欄掲載