「みんなの意見」は案外正しい
ジェームズ・スロウィッキー 著
本書の原題を直訳すると、「群衆の知恵」である。すなわち、本書は「群衆の狂気」あるいは「衆愚」という伝統的な通念に、異議を唱えるものである。
著者があげている例では、見本市に出された雄牛の重量を当てるコンテストで、雄牛についてよく知らない八〇〇人の人たちが投票した値の平均値が、専門家の推測よりも正解に近かったという。
この理由は説明されていない。ただ、個々の専門家よりも群衆のほうが知力・判断力において優越する場合があるということは、衝撃的な発見である。
しかし、集団が賢明な判断をくだすためには、いくつかの条件がいる。それは、集団の成員が、多様性、独立性、分散性をもつことである。さらに、多様な意見を集約するリーダーシップが不可欠である。そして、実は、これらの要件を満たすことは容易ではない。
たとえば、集団の中で討議すると、個々人は賢くなるだろうが、討議を重ねるほどに、皆が同じ意見をもつようになる。そして、多様性・分散性・独立性が失われ、いわゆる「群集心理」に陥ってしまう。ゆえに、群衆がいつも賢いというわけではない。一定の状態にある群衆が賢いのである。
実際には、集団がこのような要件をみたす場合は多くない。その要件を満たす代表的な例として、意思決定を市場にまかせる「予測市場」がある。確かに、市場では、人々は相互に独立している。とはいえ、市場であれば何でもいいというわけではない。利潤を目指す市場にはいつも、付和雷同的なバブルが生じる危険があるからだ。
すると、本書は、少数の専門家や指導者よりも大衆が賢い、といっているのではない、ということがわかる。むしろ、私には、集団の成員の多様性・分散性・独立性を保持し、さらにそこから創造的な意見を集約できるようなリーダーシップこそが望ましい、といっているように思われる。
だから、本書の言い分は、見かけほど奇抜ではない。ただ、実行するのが難しいだけである。
柄谷行人 |2006.3.26 |朝日新聞 書評欄掲載

