反ファシズムの危機 -- 現代イタリアの修正主義
セルジョ・ルッツァット 著
第二次大戦は、日独伊三国同盟(1940年9月締結)と米英ソなどの連合軍の間の戦争であった。ゆえに、日独伊の三国が戦争期のみならず、敗戦後の状況においても類似することは、誰にでも想像がつく。実際、戦後日本のことを考える際、ドイツの事例がいつも参照されてきた。歴史の見直し(歴史修正主義)という問題に関しても同じである。ところが、イタリアに関しては、日本ではほとんど知られていない。
一つには、敗戦後の状況に決定的な違いがあるからだ。日本やドイツで、政治的な指導者がその戦争責任を「連合軍」によって問われたのに対して、イタリアではそうならなかった。ファシズム体制を倒しムッソリーニを処刑したのは、共産党を中心とするレジスタンス運動であった。そのため、日本では、イタリアといえば、グラムシ主義に代表される左翼運動の国として見られてきた。しかし、ソ連邦が崩壊した1991年以来、事態が変わってきている。ファシズムの脅威を軽く見て、反ファシズムの意義を無化してしまう歴史修正主義が強くなったのである。ベルルスコーニ政権の出現がそれを典型的に示している。
本書において、著者はそのような傾向を批判し、「反ファシズム」の意義をあらためて確認しようとしている。細かな歴史的文脈を別にすれば、本書が示す事柄は、日本人にとって非常に参考になる。というのも、ある意味で、戦後日本のケースは、ドイツよりもイタリアに似ているからである。
たとえば、2003年イラク戦争の時点で並んだ、ドイツの首相シュレーダーと、小泉首相やベルルスコーニ首相を比べてみればよい。前者がドイツの過去を認め且(か)つアメリカのイラク戦争に反対したのに対して、後者2人は過去を否認し、イラク戦争にすすんで参加することを表明した。前者が沈鬱(ちんうつ)な表情をしているのに、後者はやたらに上機嫌ではしゃぎまわる。いうまでもなく、彼らの差異や類似は、個性の問題ではない。それぞれの国民の問題である。
柄谷行人 |2006.7.30 |朝日新聞 書評欄掲載

