法と掟と -- 頼りにできるのは、「俺」と「俺たち」だけだ!
宮崎学 著
「法の裏、法の穴をついて儲(もう)ける」など著者自身の「アウトロー生活」の体験から、掟(おきて)と法について考察し、そこから今日の日本社会の批判におよぶ、痛快で、洞察に満ちた書物である。
本書の定義によれば、掟とは個別社会の規範である。「個別社会」は家族、村、労働組合、同業者組合、経済団体といった基礎的な集団であるが、著者はそれを「仲間内」と呼ぶ。そこには、相互扶助(互酬)的であるとともに内部で共有する規範がある。それが「掟」である。一方、「全体社会」は国民国家のように抽象的な集団であり、そこで共有される規範が「法」である。
通常、社会は、個別社会の掟で運営されており、掟ではカバーできないときに法が出てくる。ところが日本社会では、そういう関係が成り立たない。掟をもった自治的な個別社会が希薄であるからだ。著者によれば、その原因は、日本が明治以後、封建時代にあった自治的な個別社会を全面的に解体し、人々をすべて「全体社会」に吸収することによって、急速な近代化をとげたことにある。
ヨーロッパでは、近代化は自治都市、協同組合、その他のアソシエーションが強化されるかたちで徐々に起こった。社会とはそうした個別社会のネットワークであり、それが国家と区別されるのは当然である。しかるに、日本では個別社会が弱いため、社会がそのまま国家となっている。そして、日本人を支配しているのは、法でも掟でもなく、正体不明の「世間」という規範である。
日本は自治的な個別社会を解体したために、国民国家と産業資本主義の急激な形成に成功したが、それは、今やグローバル化の中で通用しなくなっている。それに対して、中国では個別社会――幇(バン)や親族組織――が強く、それが国民(ネーション)の形成を妨げてきた。しかし、逆に、今日のグローバル化において、国境を超えた個別社会のネットワークが強みとなっている。
著者は、若い人たちに個別社会の形成をすすめている。そのためには個々人が「世間」の規範から出なければならない。
柄谷行人 |2006.1.22 |朝日新聞 書評欄掲載

