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Re: スガ秀実氏の批判に/高橋源一郎
 スガ秀実氏の著書『「帝国」の文学』へのわたしの書評について、スガ氏はこのように書かれていました。
「高橋氏は拙著から引用した後『ついに漱石は『大逆』について論じることも、そのことを作品として取り上げることもなかったのである』と書いている。あたかも、私もそう言っているかのように、である。しかしそのような視点は、高橋氏の小説「日本文学盛衰史」のものに過ぎない。拙著は、『しかし、私見によれば、漱石は『大逆』事件について、ほぼ明確かつおおやけに論じている』として、具体的に漱石の書いたものを詳しく論じているのであり、それこそが核心の一つをなしている」

 確かに、「漱石は『大逆』について論じている」ということこそ、スガ氏の著書のもっとも重要なテーマである以上、そのことについて言及しなかったことは、書評としては、致命的な欠陥といわねばならず、また、明らかに、公平を欠いていると思います。その点について、著者であるスガ氏に、陳謝します。
 その上で、いくつか、その問題について付け加えておきたいことがあります。
 『「帝国」の文学』を最初に読んだ時、スガ氏の「漱石は『大逆』について論じている」という考えは、いくつも証拠が提示されているとはいえ、わたしにとっては魅力的で刺激的だが、有力な仮説の一つにすぎない、いうものでした。
 しかし、その後、千葉大学での講義に際し、漱石の「思ひ出す事など」を全編、発表年月日を調べた上で、順に並べ、「大逆」事件の年表と比較しながら、読んでいくと、驚くべきことがわかりました。漱石は、明らかに、「大逆」に関する重要な事件(裁判、判決、執行など)が起こるたびに、それとわかるような反応を、その中に書いていたのです。当時、朝日新聞を読んでいた読者には、一般紙面での「大逆」事件の進行と、文藝欄での、漱石の、その事件への反応は、明白だったように思えます。ことによったら、今度はなにを書くだろうか、と心待ちにしていたかもしれません。
 その意味で、スガ氏の「漱石は『大逆』事件についてほぼ明確に論じている」という説は、仮説ではなく、間違いないように思えます。
 だが、と、わたしは考えます。
 「思ひ出す事など」を同時進行的に読んでいた読者は、漱石はなにについて書いているかを知りながら(どう読んでも、「大逆」について書いているのですから)、なおかつ不満を感じたのではないかと思ったのです。
 つまり、そこまで書きながら、なぜ「大逆」の、あるいは「幸徳」の一語が書けないのか。
 確かに、その意味では、鴎外も啄木も実篤も、「大逆」については書いてはいない。ほのめかしや、「ほとんど」書いたではなく、直接にそのことについて書く、ということを回避している。「大逆」について、漱石は、もっとも、直接にそのことを書ける場所にいたのではなかった。あるいは、漱石が「国民作家」になったのは、彼が、重要なことはすべて、直接には書かない、つまり、さまざまな解釈が可能な状態にしておいたからではなかったか。
 ‥‥というようなことを、書評執筆後に考えるようになりましたが、その点についてはまたいつか、なにかの形で書きたいと思います。

※ この論文には以下のレスポンスが付いています。
▼ 高橋源一郎〈「大逆」と明治〉へスガ秀実(2002/01/17)
 △ Re: スガ秀実氏の批判に/高橋源一郎(2002/01/24)
  ▼ Re: 高橋源一郎のレスは、あまりにも...スガ秀実(2002/01/28)

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