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近代化とは、簡単に言えば、共同体の崩壊過程である。したがって、近代に肯定的な者も否定的な者も、「共同体」を規準にしてその立場を表明せざるをえない。前者は、共同体からの個人の分離をとりあえず寿ぎ、後者は、共同体への回帰を唱える。だが近代を受け入れ、肯定する立場を取ったとしても、人間の世界から共同性を消去し尽くすことはできない。しかし、われわれは、近代にあって共同体を極度に称揚する態度が、全体主義、狭隘なナショナリズム、ファシズムなどを産み出してきたことを知っている。こうした悲惨への道を回避しながら、なお共同体を思考し、構想しうるか。本書は、こうした問いに捧げられている。 |
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ナンシーの考えでは、人間が個として単独であること、そのことの内にすでに共同性(複数性)が刻まれている。「死」を思うとそれがわかる。死は人を絶対的に分離する(代わりに死んでやれない)。ところが、死は「私」が独力で為しうる行為ではない。死は、行為不能状態への移行だからだ。たとえば「私は今走った」とか「書いた」と言えるが、「私は今死んだ」とは言えない。つまり死は「私」に属していない。死を出来事として完結させるのは、それを看取る他者なのである。実は、死において互いにどうしようもなく分離されているという「限界」こそが、人々の間で分有されているのだ。共同体の究極の根拠はここにある。これが本書を貫く基本的アイディアである。 |
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私の考えでは、今ほど、共同体の根源を徹底して再考する本書を読むにふさわしい瞬間はない。われわれは、自らの大義や共同体のためにいささかも死を恐れぬテロリストに戦慄したばかりなのだから。そして、最小限の「正義」の観念も分有されておらず、そうしたテロリストが横行しうる世界にあって、なお、われわれは、異質な他者たちと共存し、共同していかなくてはならないのだから。 |
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