Critical Space Archive

 C'est la premiere fois que je parle en francais devant un public francais, mais aujourd'hui, j'oserai faire ma causerie en francais... フランス語で、しかもフランスの聴衆を前にして喋るなんて初めてのことなのですが、今日は私のおしゃべりをあえてフランス語でやってみたいと思います、そう言って、小説家はおずおずと話し始めた。いまこの時にいたって、自分が最初に知ったフランス語は一体何だっただろう、と思い起こしてみると、それは、par avion、そう、外国行きの郵便にわけも分からず書きつけたその言葉だったような気がします。アメリカに住んでいた父に向かって、私は日本から幾通も幾通も手紙を書き、そのたび封筒の表に par avion、par avion と書きつけていました。それはどうやら「航空便」のことらしい。どうしてフランス語なのか、不思議に思って尋ねると、誰かが、フランス語は国際郵便の公定語だからだ、と教えてくれました。その誰かは、ひょっとすると母だったかもしれません...
 パリ、ジュネーヴ、東京の三つの大学が主催したコロックでの、『二つの時間』と題された水村美苗の causerie は、小気味のよい言語パフォーマンスによって鮮やかな印象を残すものだった。ここで「二つの時間」とは、自ら「普遍」的な世界史の担い手であることを自認する西洋の時間と、その世界史の中に否応なく巻き込まれ、「普遍」の時間に対して「特殊」として自己を意識してきた日本近代の時間を意味する。アメリカに移り、今度は日本に向かって par avion と書き続けていた私が、そのフランス語を書かなくなってもう久しい、と小説家は言う。それは、私が日本語で小説を書くことを決心して、日本に帰ってからのことだ。でも、英語で教育を受けながら、どうして日本語などというマイナーな言語で書くことを選択したりしたのだろう。私は英語を母語とする周囲の学生たちとはまじわろうともせず、日本文学ばかり読み続けていた。自分たちの時間とは異なった時間があるなどと考えもしない彼らに対して、持ち前の「高慢と怯懦」ゆえに、私はそうやって反抗したのだ。それは、決して自分を普遍的だなどとは信じられず、普遍と特殊のあいだの非対称性に悩まされてきた日本の近代文学に対する愛着でもあったろう。それはまた、日本語というこの奇妙でマイナーな母語の物質性そのものへの愛着でもある。プルーストの Maman が Mother と翻訳されることなんかありえない、それと同じことだ、母、お母さん、かあさん、おふくろ、カアチャン、オカアチャン...
 「母」を選択すること、そして選択することによって「母」の自然性などという神話をすりぬけること。「母」を、さまざまな記号の連鎖へ開かれた、「物質」として受け取ること。最近観たアルモドヴァルの『母のすべて』も、そういった「自然」のモンタージュをめぐる妙な映画だった。でもここでは夢想はひかえて、慣れない外国語を楽しむように、なめらかさを増していく小説家の口振りを追うことにしよう。その口振りはどこか、かつてアメリカで日本文学を読みふけっていた学生の「高慢」を思わせもする。不意に小説家はきびすを返して、フランス人の聴衆を挑発する。あなた方は、自分たちの時間を普遍的だと思って過ごしてこられた。この会場でも、日本人はみなフランス語を解しますが、あなた方のうちに日本語を解される方が何人おられるのでしょうか。でも、状況は確かに変わりました。インターネットで英語が世界の公用語となったいまや、フランス語を使うあなた方も言語的なマイノリティーなのですから。そのことを私は心から祝福したいのです、ようこそ、特殊の時間の世界へ、と。いまこそ、「われわれ」は、世界を覆う英語の覇権に対してともに戦おうではありませんか!――そのやんちゃな呼びかけに、フランス人の教授が尋ねる。ですが物書きとは、英語でさえ、それを独自の言語へと創りかえる存在ではないでしょうか?と、その時まで、フランス語でその場の受け答えはできないから、と通訳を介してフランス語の質問に日本語で応じていた小説家は、あの、ここでは英語で話します、そのほうが分かりやすいと思うので、とそこまで日本語で言ったかと思うと、いきなり流暢な英語でその causerie を締めくくった。But English circulates, it circulates......「高慢と怯懦」――しかし見事な!

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