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「いま批評の場所はどこにあるのか」と題して、東浩紀、鎌田哲哉、福田和也、浅田彰、柄谷行人の五氏が参加して行われた『批評空間』第II期第20号の共同討議は、議論のすれ違いと感情的対立のために不毛な印象を残す座談会の記録となっている。以下、私は手短に、この議論の紛糾を参加者相互の思考と状況判断の相違のもたらした症候として分析を試みる。 |
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柄谷行人は、「批評」自体の無=根拠を自己自身に問いつめる「単独者」の理論的考察を、その時々の日本の「共同体」の知的言説の「外部」として切断=接合するというアイロニカルな態度によって卓越した批評家たりえてきた。「いま批評の場所はどこにあるのか」という問題設定が、『批評空間』(「空=間」とは無=根拠としての「外部」の別名である)という雑誌名とともにきわめて柄谷的なものである理由はそこにあり、柄谷の理論的な著作がつねに急進的な政治性を保持してきたのはこの問いによってであった。知識人の代表性(個人と共同体の媒介可能性)を批判する吉本隆明=新左翼的立場を徹底化するところから出発した柄谷は、吉本的「自立」が文学や個人の内面という根拠の実体化にいたると『日本近代文学の起源』によって懐疑をさしむけ、80年代に浅田彰らが代表したポストモダンに対しては『批評とポストモダン』によって戦前の近代の超克論を喚起しながら、その理論的なラディカリズムへの共感と高度消費社会におけるイデオロギー性への批判とを表明した。ここで柄谷のこの断続的な移動が、個人と共同体との媒介の不可能性の認識を反復しながら、近代の日本文学・思想史の系譜学を導入して、そのつどの支配的思想に対応してなされてきたことに注意すべきである。 |
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問題は、福田和也が座談会において危機感を示すような、批評的判断を支える「共通了解」の地平自体 ――日本文学・思想史の「常識」と言いかえてもよい――が揺らいでいる状況において、柄谷的な「批評」のポジションが有効でありうるか、という点にある。言いかえれば、柄谷的な「批評」は、「共同体」つまり狭義では文壇、広義ではその文壇の代表する国民国家内部の言説の公共空間の統一を前提として成立する身ぶりであり、逆説的にせよ後者によって規定されてきたのではないか。ここでさらに「共同体」の「外部」において「単独者」と「普遍性」を無媒介に直結させる柄谷の論理の罠にも警戒が必要である。「外部」の不可避性を示してバブル末期の日本の強力な批判となりえたその理論的なコンスタテイションは、柄谷の思考が自己言及的形式をとるかぎり、そのままパフォーマティヴな次元におけるナルシスト的な自己満足を基礎づけうる。そのナルシシズムはまた、自足し非政治化した国民の「外部」へと追い込まれた新左翼の隘路(アイロニー)の行きつく果てでもあろう。またここで『批評空間』のもう一人の編集者である浅田彰については、その抜群の編集能力によって私たちが多大な恩恵を享受していることを認めた上で、浅田が「再導入」と称するポストモダンの防衛が基本的に自己保存的(コンサーヴァティヴ)なものであること、そしてそれが思想を終わりから眺め、チャート式に整理することに終始する浅田のニヒリズムに由来するのは確かだと言わねばならない。それが柄谷・浅田の個人的な問題にとどまらないのは、柄谷的ナルシシズムと浅田的ニヒリズムの交錯が、少なくとも書き手の負うべき責任の範囲で、現在の『批評空間』の閉塞と「批評」の失調をもたらしていると思われるからだ。 |
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柄谷的な「批評」の閉鎖性をいちはやく指摘した福田和也は、柄谷にとって「おぞましいもの」とされてきたファシズムの思想が、現在においても言わば「乗り越え不可能な地平」としてあることを主張して「日本」という言葉の指示する全体を肯定し、柄谷が抑圧してきた日本文学・思想の系譜を提示してきた。また他方で福田は様々なメディアに介入して「日本」という記号を批評的なキーワードとして流通させ「共同体」を束ね直すことにも腐心してきた。それによって福田が90年代の知的言説にノイズをもたらしたことは事実だろう。だが言わば「内部」につく福田の立場は、基本的に柄谷の文学・思想の価値体系を前提とし、そのネガとして規定されている。しかもファシズムの美学的解釈に依拠する福田にとって「日本」とは実体を欠いた空虚であり、空虚であるがゆえに全体化の欲望をよりよく満たす言葉なのだから、福田的「日本」は結局柄谷的「外部」と相補的な、空虚な一対をなすのだ。福田の「日本」は、たとえば万世一系を日本の実体として素朴に信じるような「右翼」の不可能性の認識の後に選択されている。だからそれは美学的に昇華=消化された「批評」的なポジションの名にすぎず、柄谷・浅田にとってはこわくないのみならず、ある意味で「左翼」の不可能性から出発した二人と福田は形式的に同じ問題を共有している(というよりも福田は形式的に同じ問題を「右翼」に見いだしたのだ)。当初柄谷の痛烈な批判者として売り出し、浅田にヒステリーさえ起こさせた福田がいまや『批評空間』の常連である理由はそこにあり、一方で『批評空間』の閉鎖性についての認識を以下に述べる東とも共有するがゆえに、件の座談会において福田は最も「紳士的」な(おとなしい)ふるまいを見せることになろう。 |
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日本の90年代が冷戦構造の終焉、昭和天皇の死、バブルの崩壊によって画される時代であったことが、柄谷・浅田/福田らの「批評」の空無化に影響を与えていることは確かである。座談会で、過去の仕事とは無関係に「ポジティヴなことを言いたい」と言う柄谷はおそらく「批評」の現在の閉塞を自覚している。いま柄谷が50年代の文学・社会運動や「横断的超越論性」について語るのもそのせいだろう。だが柄谷が来るべき戦争=恐慌を予言する時、彼はその「ポジティヴなこと」を流通させる言説空間の再生を、贈与の一撃として待望しているように見える。物書きとしての問題はしかし、福田のように空虚な記号によってでもなく、柄谷のように予言によってでもなく、具体的な書くことの実践によっていかに言説の公共性を回復するか、という点にあるのではないか。 |
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座談会の席上ではいささか迷走気味だが、紛糾の原因となった東浩紀の立場はこの問題設定において理解されなくてはならない。「それは皆さんの議論とは関係がない」と嘯く柄谷や、「では勝手にやります」と口火を切る鎌田に東が苛立つのは、彼らが「単独的」な口振りによって自らの「批評」性を際立たせる態度に、言説の公共性に無自覚に寄り掛かったナルシシズムを見るからだろう。そもそも現代思想やアニメの「オタク」として出発した東にとって、メディアと資本のグローバル化を背景とする国際性と「共同体」の閉鎖性が共存する一方で、国内の言説の公共空間が不確実になっているという判断は当然のものだろう。『存在論的、郵便的』の言う「郵便空間」とは、不況下における国内市場の流通の失調ぶりを反映しているとも言える。つまり東にとって、「書くこと」=「送付すること」とは、それぞれのオタク「共同体」の「外部」に「誤配」かまわず向かうことであり、東が日本語で書くかぎり、日本の「内部」における公共空間を横断しつつ生起させることがその欲望となる。それは第一に様々なジャンルに積極的に介入しそれらを媒介すること(「営業」!)、第二にその介入のもたらした「誤配」の状況自体を対象化する「解説」を通して媒介を複数化することを意味する。この東の複数的媒介の試みは、「誤配」や「遅配」の必然性を前提としている以上、それらの媒介を最終的に廃棄する統一的な表象(「日本」あるいは「大衆」)に至ることはない。また東が福田に対してテクストの「コンスタティヴ」な性格を強調するのは、イメージによることなき、個別具体的な分析に基づいたコミュニケーションへの志向として理解できる。その個別性が同時に公共性を持ちうるには、実践的にはともかく明示的かつ論理的に書くしかない、ということは自明である。さらに『存在論的、郵便的』がフロイト=デリダ的な「郵便的脱構築」と呼ぶ分析の手続きを参照すれば、東が「コンスタティヴ」と言うのは、ある対象の統一、あるいはその統一を支える「場所」を様々な媒介の錯綜として「散種」させてゆくこと、そしてその「散種」の側からその統一を再検討するような分析である。ここでも「コンスタティヴ」によって目指されているのは複数の媒介の顕在化であり、それはたとえば福田が「日本」という記号によって表象する「古典」や文芸の「通時的なサークル」の思考と感性の雑多な系譜のひろがりとからまりを露呈させるはずだ。 |
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むろん東に対する危惧もある。第一に、資本主義があらゆる複数的媒介の試みを生産と消費の単一のサイクルによって処理するシステムである以上、東がアクチュアルな複数的媒介解説者(マルチメディアコメンテーター)として商品化され消費される可能性があること(蓮實重彦が先導する大学改革が伴った「痴」の三部作を想起せよ)。東の思考が迅速であり、状況判断が的確であるだけにそのリスクは大きいように思われる。東の座談会における介入がおよそ「コンスタティヴ/パフォーマティヴ」の対立に準じてなされていることにもリスクは潜在している。釈迦に説法と言うべきだが、この対立項がいずれも言語使用の現前性を前提としていることを批判してデリダは「引用可能性」という概念を導入した。それは、書く行為が不可避的に抱えこまざるをえない過去・現在・未来のアナクロニックな関係を含意する。たしかに東が自らを「哲学者」として定義する時にはそのアナクロニスムへの志向が現れているが、『存在論的、郵便的』がリズムの差異とか複数性という言い方でとらえていた時間性についての考察は(なかば必然的にではあるが)彼の状況論的発言からは影をひそめている。どこまでもアクチュアルでありながらアナクロニックであり続けること、そのためにはより積極的な「過去」、すなわち「死語」の導入が必要であると思われるのだが、どうか。第二に、90年代をリオタール的な意味での「ポストモダン」化が深化した時代とする東が、言説の複数性と分析の個別性を強調するために、書くことの論争的側面を消去するかのようであること。ある意味で東の明晰さは、「棲み分け」(東)する様々な言説をその存在の条件にまでさかのぼって問いただすことで、それぞれを合理化してしまうかのように見える。柄谷的ナルシシズムや浅田的ニヒリズムが回避してきたものがなによりも「論争」であり、さらに福田的イメージ戦略に対しては理論的かつ個別具体的な批判が必要なのであってみれば、東が今回『批評空間』で見せた「切断」(プッツン)が、柄谷的「接合」ならぬ、複数的「論争」へと展開することを私は期待せずにはいられない。むろん、そのためには批評家たちが改めて単に率直に物を言うことを選択することから始めなければならない。 |
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媒介の不可能性から、複数的媒介へ――鎌田哲哉が言う「空間の批判」は、東浩紀によって『批評空間』の外部への横断として開始されつつあるように思われる。『Xへの手紙』...?
しかし、そもそも批評を書くというふるまいは、媒介の不可能性の認識の後で、なおその不可能を試みるという行為としてありつづけてきたのではなかったか。 |
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