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来場のみなさん、
アルゼンチン館居住者委員会は、「三万の行方不明者――癒されぬ記憶」と題された二日間にわたる催しの開会を宣言します。アルゼンチン史上最も強権的な独裁政権を樹立した1976年3月24日の軍事クーデタの23周年を機として企画されたこの二日間は、行方不明者たちの記憶と独裁政権の経験を基にした政治的かつ倫理的な考察に捧げられます。 |
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1976年の軍事クーデタは、60年代末以来のアルゼンチンにおける社会運動の高揚に暴力的に終止符を打ちました。軍人たちはアルゼンチンの人々に恐怖政治を強要し、強制連行、拷問、暴行など、あらゆる形で人間的条件の抑圧に訴えました。「行方不明者」とは、これら強制連行の犠牲者のことを言います。今日、人権団体は、この時期の行方不明者の総数を三万と推定しています。 |
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経済政策の完全な失敗、マルヴィナス戦争(フォークランド戦争)での敗北、そして市民社会の一部からの圧力を受けて、独裁政権は1983年12月、権力を文民の権威に委ねることを余儀なくされました。跡を継いだアルフォンシン民主政権は、市民に対して行使された全ての暴力の責任者に対する法的訴追を開始し、軍幹部は法廷において断罪されました。しかし、これら勇気ある、歴史上未聞の、国家権力の暴力に対する訴訟は、譲歩を重ねて次第に後退していきます。86年最終期限法。87年服従義務法。89、90年現メネム政権による服役中の全ての軍幹部に対する大統領特赦。以来、行方不明者の子供の簒奪の件でヴィデラほか八人が有罪判決を受けたものの、独裁政権の罪はそれ自体として再審されぬままです。 |
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アルゼンチン館の住人は、ほとんどが独裁政権を子供として、家庭内の不穏な雰囲気や学校における画一的な規律を通して知った若い学生です。われわれは、アルゼンチンの民主主義の、軍政の伝統の克服に向けての緩やかでしばしば覚束なげな歩みを知っています。われわれは行方不明者とその家族を襲った暴力を直接には受けることはありませんでした。しかしだからこそわれわれは、自分たち自身と他の人々に対して、行方不明者の存在と独裁政権の犯罪を呼び起こすことが必要かつ重要であると考えます。 |
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この記憶の鍛錬において、われわれの思いはまず消え去ることを強いられた全ての人々に向かいます。これら単独的で唯一の個人たち、これらかけがえのない行方不明者たちに対して、彼らの後にきた者の義務は決して正義=裁判を求めることをやめないことにあるとわれわれは考えます。その正義が彼らを癒すことはありえないにしても。軍事クーデタ23周年の当日、ラテンアメリカのもう一人の独裁者ピノチェトに下された判決は、われわれに希望を与えます。しかし、この記憶の鍛錬は、同時に現在の世界における独裁と国家による暴力の行使の危険から眼を背けないことも要求します。われわれ自身が、それらの犯罪の共謀者とも被害者ともなりえたこと、今なおなりうることを思い起こすこと。だからこそわれわれはそれらの犯罪を繰り返さない責任を負っているのです。この正義=裁判の要求と犯罪の反復への警戒とは堅く結びついています。記憶の鍛錬は現在の仕事であり、われわれの未来へと運命づけられています。 |
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このような意志によってわれわれはこの二日間の催しを企画しました。われわれはアルゼンチンで起こったことを知り、知らせることができればと願っています。そしてまたこのような意志によってわれわれは、苦痛にも関わらず、正義=裁判のために、つまり来るべき世代のために活動する者の側にあることを望みました。この催しの全ての収益金が、現在行方不明者の子供の簒奪に関する資料センターを準備中の「五月広場祖母の会」に送られるのはそのためです。ここに聞かれる様々な声を通して、われわれ一人一人が、そして来場の方々の一人一人が一つの記憶を共有するに至ること、そしてまた、この催しの最後を締めくくる夕べが、今後もなお、あらゆる人々とともに生き続けていく励ましにみちた喜ばしい経験となること、それがわれわれの望みです。 |
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この催しのために協力してくださった方々に感謝します。われわれにとってそれらの方々との出会いは大変貴重なものでした。そしてまた、ここにお集まりいただいたみなさんにも、この催しへの参加を感謝します。 |
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今や、われわれみなが記憶の鍛錬を始めるときです。 |
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アルゼンチン館居住者委員会 |
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追記:
パリ大学都市内のアルゼンチン国営の学生寮で3月26、27の両日にわたって「三万の行方不明者 癒されぬ記憶」と題された催しが開催された。1976年3月24
日のクーデタで樹立されたアルゼンチンの軍事独裁政権の考察に捧げられたその内容は、記録映画上映や行方不明者の家族の証言、哲学者、歴史家、弁護士らを集めてのシンポジウム、そしてタンゴのコンサートとダンスパーティーからなる。上の文章はその開会の辞であり、筆者がフランス語で下書きした上、他のメンバーとの合議を経て、3月26、27日の両日、開会に際して読み上げられた。この催しの企画から運営まで共に仕事を続けたアルゼンチンの友人たちに感謝する。 |
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