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ある週末に、独仏国境の街ストラスブールを訪ねた。ここに留学していた友人が日本に帰る前に一眼、と思ったのがきっかけだった。 |
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ストラスブールの駅に降りたつと、冷たい外気が身体を包む。冬になると零下五度、十度といった日が続くこの街は、フランスでも最も寒い地方にある。ライン川から引かれた堀にかたどられた中心部には、カテドラルがそびえたっている。その南ドイツ産の石の赤褐色が、この街の雰囲気とは切り離せない。日が暮れると人影も稀になる街は、橙色の灯の光に照らされて、霧の中でぼうっと静まり返っている。道端のそこここに雪が残る。その閑散が、壁一枚隔てた建物の中の暖かさと対をなして、ヨーロッパの冬の印象を強くする。 |
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実を言えば、もう5年も前になるが、私自身がフランスで初めて住んだのがこの街だった。大学で文学科の修士課程に所属していたが、論文は書かずに終わった。わずかに哲学科でハイデガーの読書会にでていた記憶があるばかりだが、それも専ら酒場で続けられるおしゃべりのほうが楽しみだった。ともかくよく遊んだ記憶がある。外国人の留学生同士で出かけることが多かった。 |
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ストラスブールの名はまた、この街を「フランスの中で最もドイツ的な街」と紹介されることに憤っていた老人や、自分が戦時中にSSに属していたことをある時不意に打ち明けた老人の個人的な思い出とも結びついている。この街を中心とするアルザス地方が、19世紀以来、独仏両国の間で争奪の対象となってきたいきさつは日本でもよく知られていよう。第二次大戦開戦直後、ドイツに併合されるとともにドイツ国民としての身分を保障された住民たちの間(むろん、そこからはパリについでフランスで第二の規模を誇るこの地のユダヤ人共同体の住人たちは除かれているのだが)には、ナチに帰順する者も少なくなかった。その過去を、この地方の人は「わが意に反して
malgre nous」と呼び慣わす。 |
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現在この街にはヨーロッパ評議会があり、地元ではそれを誇ってストラスブールをヨーロッパの首都、と呼ぶ。EU本部があるブリュッセルに比べれば物の数ではないのだが、フランスとドイツという二つの強国の間で翻弄されてきたこの街の住民の精いっぱいの意地だろうか。たしかに法学部や政治学研究所など、ヨーロッパの法律や政治を学ぶための講座はととのっている。だが、華やかなフランスの首都に慣れてしまっているこちらの眼には、むしろ冬の街の索漠とした感じのほうが募る。国境の街の紛争の過去を乗り越えたいま、ストラスブールは、他と大差のないヨーロッパ内陸の地方都市として身を落ちつけようとしているのかもしれない。 |
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だが、そのストラスブールが好きだった。フランスとドイツの間、過去と現在の間、それらの緊張のただなかにありながら、それを大仰に言い立てることもせず、外から来た者たちを寛大に受け入れてくれるささやかな空間が、この街には確かにあった。 |
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来週にはブエノスアイレスに帰るという学生のお別れ会に、もうすぐ東京に帰ろうとする友人と、パリからやってきたアルゼンチン人の友人と一緒に出かけた。集まってきたのは、主にストラスブールの哲学科の同僚たちだった。アメリカ、イタリア、ギリシャ、チリ、中国、ドイツ、モロッコ、そしてフランスと、学生たちの出身は様々に異なる。なかに何人か、見覚えのある顔がある。じきに日本人の友人が、各国の美女たちに取り囲まれながら顔をほころばせて踊りだした。ギリシャ人の女は、けたたましく笑いながら大声で喋り続けている。臨月を迎えているアルゼンチン人の妊婦が、いつ来るかわからないのよ、と言ってにっこりと微笑む。アクセントのきついフランス語が飛び交う。大げさな会ではない。小さなアパルトマンの、身近な仲間たちの集まりだ。 |
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明日の朝早くパリに向けて発たなくてはならないから、と心残りを振り切ってその会を辞去した。本当に良い会だったね、と傍らの友人が言う。建物の重い扉を押して外に出た途端、深夜の寒さがこちらの身体を鷲づかみにして、心地良く酔った頭を一気に冷やそうとする。 |
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