Critical Space Archive

 開館して間もないある博物館の閾で、青年に呼び止められた。早口で繰り出される質問が聞き取れずにしばし呆然としていると、武器の携帯はありませんか、ナイフなんかもないですね、と立て続けに言うのが分かり、ノン、ノン、と慌てて答える。
 博物館の名は Musee d'art et d'histoire du Judaisme、ユダヤ教の芸術と歴史の博物館、と訳せるだろうか。ユダヤ教の、とあるとおり、この博物館はその過半を中世以来のヨーロッパ各地のユダヤ人たちが残した宗教的な祭儀や伝承にまつわるオブジェの収蔵にあてている。だが、ドレフュス事件の時期まで時代と場所を限定しながら進められてきた展示は、時代が今世紀に入るといささか曖昧にシャガールやモディリアニらの絵画に場所を譲る。第二次大戦下フランスのユダヤ人について小さな一角が捧げられてはいるが、ここには展示することの不可能ななにかが控えていて、絵画たちがその不可視の核を中心に回っている、という印象は否みがたい。大きなガラス窓のむこう、隣接する建物の壁面には、『1939年の サン・テニャン館の住人たち』と題されたボルタンスキーの作品が、現在の博物館がユダヤ人街の一角をなしていた当時の住人たちの名前と職業と出生地といくつかのものには没年を記した銘板を掲げている。
 ユダヤ史家イェルシャルミの著『ザホール』(ヘブライ語で「覚えておけ」の意)によれば、古代以降、ユダヤの民は奇妙なまでに歴史叙述を持とうとはしない民だった。彼らは、自らに起こる出来事を、聖書にすでに書き込まれてある神と自らの父祖の交渉の反復として理解していたのであり、そこで共同の記憶を形作ったのは、年毎に繰り返される聖書の朗読や祭儀だった。それに対して、前世紀以来発展してきたユダヤ史の研究は、国民国家の時代における「同化と解放」の選択と、ユダヤの国民的同一性の中核にある神への信仰の断念と引き替えに出発している。「ユダヤの歴史」は「ユダヤの記憶」の廃墟の上に成立しているのだ、とこのJewish historian は言う。
 この観点からすれば、ユダヤ教博物館は「ユダヤの記憶」をまさに「オブジェ」と化してしまう危うい企てとも見なしうる。とはいえイェルシャルミも決して「記憶」への回帰を主張するのではない。彼は「記憶」の廃墟を前提としながら、ユダヤの伝統の切断と分散をあえて描き出し、その「歴史」を介して「律法」の再建を試みようとするのだから。むしろ歴史家と博物館は意外に似ているかもしれない。歴史家にとって、歴史を書くという行為が終わることのない営みであり、彼の言う「律法」が博物館の小さな場所などには収まりもつかないものだとしても、ある巨大な喪失が、それを核として一つの「律法」や一つの「場所」の設立の礎となるのだとすれば。
 ショアーという歴史上未曾有の災厄の経験からいまだ半世紀余しか経過していない現在、その再建や設立の試みを性急に退けることはできない。だがそれらの試みがつねに新たな敵対や暴力や恐怖を生みだしうるということをも、われわれは覚えておかなくてはならないだろう。行ってみたいのだけど、爆弾のことを考えると何か怖くて、そう言ったユダヤ系の友人の表情が博物館の閾でふと思い出された。また別の友人は、博物館近くのユダヤ人街で、パレスチナ産のスカーフに因縁をつけられて、数人の男たちに小突き回された。俺もユダヤ人だ、と彼は叫んだと言った。
 唐突だが、次の引用でこの稿を中断しておきたい。「過去はある秘められた索引を持っていて、救済への道を指示している。実際また、かつて在りし人々の周りに漂っていた空気のそよぎが、私たち自身にそっと触れてはいないだろうか。私たちが耳を傾けるさまざまな声のなかに、今では沈黙してしまっている声のこだまが混じってはいないだろうか。私たちが愛を求める女たちは、もはや知ることのなかった姉たちを持っているのではなかろうか。」(ベンヤミン、1940年)

PREVNEXT PAGE TOP
Copyright © 2002 Critical Space Organization.  All rights reserved.
批評空間アーカイヴに戻る 批評空間アーカイヴに戻る
Top Page に戻る Top Page に戻る