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6月10日の開幕以来、フランスはワールドカップの話題で持ちきりだ。とりわけ筆者はパリにあるアルゼンチン国営の学生寮に住んでいるので、サッカーの試合は決まって同寮の学生たちと一緒になって観ている。だから日本のワールドカップ初登場の対アルゼンチン戦も、50人ばかりのアルゼンチンのサポーターたちのなかに混じって大声を張り上げた。もちろん日本の応援のためだ。 |
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その日、このアルゼンチン館はまさにパリのアルゼンチン人たちの特設観戦会場だった。広間にはテレビ映像を投影するために小銀幕がかかり、アルゼンチン人たちがスカイブルーと白のストライプをあしらった思い思いの小道具をそろえて集まってくる。その広間の入り口で、友人が「終了5分前になっても日本が勝ってたら、黙って逃げて来週まで出てくるなよ」とニヤリと笑う。こちらも負けじと「日本が勝ったら、日本料理奢るぜ。」 |
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カワグチーイ!アレーェ!ナカタアー!ジョー!ソーマアー!ビヤーン!最前列に陣取った数人の日本のサポーターは、ボールの争奪の一々に絶叫した。アルゼンチン人からは失笑を買ったが、こちらはいつ点を入れられるか気が気ではないのだ。だが、その時は来た。前半30分過ぎ、ディフェンスの乱れをついてバティストゥータのゴール。「ゴール、ゴール、バティゴール!!」この時は本当に居たたまれなかった。胃が痛んだ。アルゼンチン人総立ち、広間にはスカイブルーが乱れ飛び、応援歌の大々合唱。隣のイタリエンヌのつぶやきがわずかにナグサメか。「良かった、これであんたたち殺されなくてすむわ。」 |
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イノチガケのこのゲーム、結局この1点に日本は敗れた。2、3日声を枯らすことになったのにはさすがに苦笑したが、しかし気分はむしろ愉快だった。そして善戦むなしく負けを重ねる日本を見て、君子豹変ス。アルゼンチン人たちと一緒になってスーパーヴィジョンの立った市庁舎前の広場に押し掛け、パリの夜をクラクションを鳴らして駆け抜け、サポーターたちの集まる真夜中のシャンゼリゼで踊り、ドンチャン騒ぎを続けたのだ。 |
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パリのアルゼンチン人たちにとって留学の事情は複雑だ。なかば母国から亡命するようにして、作家コルタサルもかつて住んでいたこの寮にやってくる連中がいる。祖父祖母から受け継いだヨーロッパの国籍を利用して一方で仕事を続けながら、大学で政治学、精神分析、文学を学ぶ。アルゼンチンを語るとき、彼らはどうにもやりきれない、といった表情を浮かべる。ついこの間のこととして3万人の死者を出した独裁政権の記憶があるからだ。そのやりきれなさの一方で、彼らは実に無邪気に屈託なくアルゼンチン、アルゼンチンと叫び、大画面のバティストゥータに向かってカメラのシャッターを切る。その無邪気さと屈託のなさは爽快だ。彼らには「今ここ」しかない。ドリブルでかわし、シュートする、「アルゼンチン」はそこにしかない。そして彼らは歌う。Soy
de Argentina, es un sentimiento no puedo parar! 自分はアルゼンチン人、この気持ちは止められない。 |
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しかし、そのアルゼンチンも準々決勝でオランダに敗れた。オルテガが相手のキーパーに頭突きを食らわせて退場をくらったのが第一の敗因だった。寮の住人一同、落胆は甚だしかったのだが、思い出してみると、前後左右見境なくカッとなったその身振りが、間が抜けていて、オカシくて、この上なく愛らしい。ようやく気を取り直したアルゼンチン人が真顔で言う。「アルゼンチンではもう今日から四年後ばかり考えてるやつがいるよ。」 |
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アルゼンチンの敗戦にも関わらず、ワールドカップはまだ続いている。時間と距離にしばられた日常に帰る一歩手前で、パリは最後まで祝祭の狂騒状態を突き進むだろう。開け放った窓の外からは、けたたましいクラクションの音と歓声が聞こえてくる。その狂騒のまっただ中に、今日もまた飛び込んでやろうか。 |
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