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「左翼は奴隷解放に賛成いたしました。右翼もそうだった、とは申し上げられない。周知の通り左翼はドレフュス派でありましたが、これまた周知の通り右翼は反ドレフュス派だったのであります。」1月14日フランス国会で答弁に立った首相ジョスパンはこうぶちあげた。「フザけるな!」怒声とともに演壇に詰め寄せる「右翼」共和国連合や民主連合の議員たちに、社会党、共産党、緑の党など「左翼」はヤジを飛ばして首相に喝采を送る。騒然とした議場から「右翼」議員は結局一斉に退去するが、その背後からもう一声「出てけ!」振り向きざまに「バカヤロー!」 |
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問題の答弁は、フランスの「海外県」の一つ、レユニオン島選出の女性共産党議員が行った奴隷解放百五十周年の記念についての質問に対してなされた。奴隷解放は、150年前の二月革命で成立し、「ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日」であっけなく転覆された第二共和制の遺産の一つなのだ。その答弁にドレフュス事件までが呼び出されたのは、この事件を国家の一大事と化したゾラの「私は弾劾する!...」がクレマンソー主幹の新聞の一面を飾って前日でちょうど百年となり、ル・モンドによるその全文の復刻をはじめ様々な記念行事が行われていたせいに違いない。奴隷解放と反ユダヤ主義に対する闘いにおいて、「左翼」に正義の守護者の役を、「右翼」にそれに対する反動の役を割り当てたジョスパンは、普遍的人権に基礎を置くフランス共和国の正統に「左翼」を位置づけてみせたのだ。一世紀以上の時間の隔たりとその言葉で指し示される政治勢力の違いを超えて「左翼」と「右翼」の対立を活性化させたのみならず、「右翼」はその憤激によって共和国の価値への忠誠を誇示しもしたのだから、その演説が引き起こした見かけの騒々しさとは裏腹に、首相は全会一致による「記念」の儀式を巧みに取りしきったと言っていい。 |
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「記念」―― commemoration。文字どおりには「共に記憶すること」を言うこのフランス語は、単なる回顧ではなく、過去を現在において賦活して共に再び生き直すことを要求する。ルナンによって国民的な同一性の中核に据えられたのがまさにこの身振りだった。過去との連続性と国の統合を体現する国王の身体を暴力的に断ち切って、その空位に普遍的人権の宣言を据えたフランス共和国にとって、「記念」とは、なんらかの起源を再演し、歴史的な正統性と共同体としての統一を自分自身に与えようとして反復される、言わば必死の劇なのだ。共和国は繰り返す、ただし一度目は悲劇として、二度目は悲喜劇として。あるいは「真面目な劇」として。 |
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だが「過去の亡霊の呼び出し」の常として、ジョスパンの「記念」の言説も極めて実際的な政治的意図と無縁ではない。年始以来、社会保障費増額の要求を筆頭に掲げる失業者の運動が13%に及ぶ高い失業率を背景として盛り上がりを見せ、それを支持する共産党・緑の党と、EU通貨統合に備えての緊縮財政を優先させる政府・社会党の間に亀裂を生じさせている。ジョスパンが「左翼」と「右翼」の対立をことさらに際だたせたのは、その足並みの揃わない与党に過去の衣装を被せて「左翼」の統一を実演するためだったのだ。 |
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1848年の二月革命は、「労働の権利」を旗印に社会問題の解決を企てる社会主義者たちを初めて政治の表舞台に登場させた。その「労働の権利」を単なる国家による窮民の扶助に格下げすることなく、労働者による労働の管理へと結びつけ、そうして「国事劇」の一切を打ち切ることを夢見たのがマルクスだった。フランスの歴史はその思惑に反して進んだ――強力な国家が社会をすっぽりと包み込み、あらゆる政治勢力をその体制の中に懐柔したのだから。全能を自称するその「福祉国家」は、しかし、この2月、失業と貧困という最もプリミティヴな社会問題を前にして、身振りを忘れて立ち尽くすかのようだ。 |
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