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この冬、水戸芸術館を訪れた観客は、一瞬わが目を疑うだろう。美術館の中央部のピラミッド状のスカイライトの前に、「宇和島駅」という巨大なネオン・サインが点滅している。その内部にも、ジャンクを寄せ集めた奇怪なオブジェがそそり立ち、その上の「エレキギター」がオブジェの回転につれて轟音を発している。実のところ、それは宇和島にスタジオをもつアーティスト大竹伸朗の作品であり、椹木野衣の企画した「日本ゼロ年(グラウンド・ゼロ・ジャパン)」という展覧会の一部を成すものなのである。 |
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「日本ゼロ年」というタイトルは、日本の現代美術の枠組みを取っ払い、ゼロ地点に戻ってすべてを見直そうという意図を表している。20世紀を通じて急速に歴史的発展を遂げてきたモダン・アートも、さすがに90年代に入って停滞感を隠しきれなくなる。とくに、現代美術が社会に根付いていない日本では、それはごく少数の関心しか引かない自閉的なゲームと成り果てた。そんな状況で表現を志す若者にとって、世界最先端の表現とか、それを体現する天才芸術家とかいったものは、もはや存在しない。かれらは、野良犬が荒地をうろつくように、ネオン・サインが輝きポップ・ミュージックが氾濫する現代の日本をさまよい、そのなかから新しい表現を作り上げていくほかないのだ。80年代以降世界的に活躍しながら、このところ日本に回帰したかに見える大竹伸朗の作品は、そういう日本の現代美術の状況を如実に物語るものと言えるだろう。 |
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この展覧会で注目される点のひとつは、そのような地点から振り返って旧来の美術の枠を突き破るような存在を再発見してみせたところにある。たとえば岡本太郎。戦前パリでモダニズムの最先端に触れた彼は、帰国するとただちに二等兵として従軍させられる。そして、戦後、文字通り焼け野が原となった日本、現代芸術を支える制度など存在しない日本で、自らマス・メディアの道化役となることも厭わず、まさに「爆発的」な八面六臂の創作活動を展開するのである。あるいは横尾忠則。岡本太郎とは逆に、グラフィック・デザイナーとして出発した彼は、世界的な評価を獲得しながら、あえて画家に転向し、とはいえ画壇の常識とはほど遠い独自の作品を制作し続けるのである。こうした岡本太郎(1911〜96)や横尾忠則(1936〜)の作品の間に、大竹伸朗(1955〜)、そして、明るい草間彌生といった感じで部屋の壁といい床といい無数の顔で埋めつくしてゆくできやよい(1977〜)らの作品が並ぶとき、そこには確かにひとつの系譜が浮かび上がってくる。というより、戦後の日本においては、いわゆる現代美術の歴史の外側でこそ真に強力な表現が展開されてきたことが明らかになる。それだけでもこの展覧会は成功と言えるだろう。 |
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もうひとつ、「グラウンド・ゼロ」というテーマから連想されるように、この展覧会には核に関連した作品も含まれており、水戸と同じ茨城県の東海村で事故があったことからも、時ならぬアクチュアリティを感じさせた。たとえば、自分で核シェルターや放射能防護服をつくり、果ては鉄腕アトムを思わせるその防護服を着てチェルノブイリまで行ってしまうヤノベケンジ。あるいは、日本画の技法とアニメの技術を総合した「スーパーフラット」な表現で、ドクロともキノコ雲ともつかぬ形態を壁一面に描き、16個もの千ワット水銀灯を組み込んだ「シーブリーズ」(照明装置ではなく独立の作品だ)によって、容赦ない光と熱を浴びせてみせる村上隆。だが、さらに意外なのは東松照明の作品だろう。いうまでもなく、この写真家は、長崎の被爆をテーマとするドキュメントで世界的に有名だ。その彼が、長崎の海辺のさまざまな場所に、小さい色とりどりの電子部品を並べてつくった「P」というキャラクターを配し、カラフルな写真連作に仕立てているのである。カタストロフィの後に生まれ出た半人工的な生命? いや、それは観る者の深読みに過ぎるだろうか。 |
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もちろん、この「日本ゼロ年」展に見られる、普通の「現代美術」の枠を破った異例者の表現こそが、現代日本の生きた美術だと断言できるかどうかは、別問題である。たとえば、会場になった水戸芸術館――あの驚くべきタワーを含む磯崎新の建築は、世界の現代建築を代表する傑作のひとつであり、また世界的にそう認められている。彼は、そのために、日本という「荒地」に生きる異例者を演じてみせる必要がない。ちょうどそれと同じように、日本の美術家も真にコスモポリタンな活動のできる時代になったはずなのではなかったか。だが、それは容易なことではない。しかも、そのコスモポリタニズムを支えてきたモダニズムが失効したのだとしたら? 美術館に掲げられた「宇和島駅」のネオン・サインは、そうした問いを雄弁に投げかけている。 |
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