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同時多発テロから間もない昨年9月22日、フランクフルトでジャック・デリダにアドルノ賞が授与され、このたびその時の記念講演が公刊された*[1]。言うまでもなくアドルノはフランクフルト学派第一世代の代表者であり、その名を冠した賞は第二世代のユルゲン・ハバーマスらにも与えられているが、受賞者は必ずしもドイツ人ばかりではなく、ピエール・ブーレーズ(音楽批評家としてのアドルノが高く評価していた)やジャン=リュック・ゴダール*[2]らも含まれている。そのなかでも、ロゴスの外部を否定しつつロゴス中心主義を批判するデリダの脱構築が、理性によって理性を批判するアドルノの批判理論に通ずる面をもつことを考えれば、デリダこそまさしくこの賞にふさわしいと言うべきだろう。 |
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現に、記念講演でデリダはアドルノへの「負債」を明白に認める。その上で、その錯綜した関係の歴史を説き明かすには少なくとも七章からなる大著が必要だろうと言うのだ。 |
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(1) ヘーゲルとマルクスの独仏における継承を比較し、アドルノの「批判」とデリダの「脱構築」を対照する。これにはおよそ一万頁を要するだろう(!)。 |
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(2) ハイデガーの独仏における受容と継承を比較し、それに対するアドルノの戦略とデリダの戦略を対照する。これにもおよそ一万頁を要するだろう(!)。そこではニーチェとフロイト、そして可能ならフッサールとベンヤミンの遺産も解釈し直されることになる。(ちなみに、デリダはここでアドルノとベンヤミンの関係について特別な意見をもっていることを匂わせ、なぜアドルノ賞があってベンヤミン賞がないのかという問いを立てている。) |
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(3) 精神分析への興味。ここでは、アドルノの言う「快楽原則の此岸」*[3]とデリダの言う「快楽原則の彼岸の彼岸」*[4]が対照されることにもなるだろう。 |
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(4) 「アウシュヴィッツ以後」の問題。デリダは、「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」というアドルノのテーゼへの賛否は保留しつつも、「アウシュヴィッツがその取り替え不可能な固有名であると同時に換喩でもあり続けるべきすべてのもの」を前にした責任を喚起した点に、アドルノの「否定しがたい功績」を見る。 |
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(5) ガダマー−デリダ論争やハバーマス−デリダ論争に見られる独仏の哲学者の間の抵抗と誤解の歴史。ここでデリダは例によって過度とも見える外交辞令を尽くして近年の「友情に満ちた和解」*[5]を強調するが、その要因として、「未来に直面して共有すべき政治的責任の意識の高まり」を挙げ、それがたんにヨーロッパの未来にとどまらないことを指摘して、ふたたび9月11日の事件に触れる。「私は9月11日の犠牲者に絶対的な同情を寄せるが、それでも、この犯罪における何人も政治的に無垢だとは思わないと言わねばなるまい。そして、すべての無垢な犠牲者に対する私の同情が限りないものだとすれば、それは、私の同情が9月11日にアメリカで死んだ犠牲者にとどまりはしないということでもある。これこそ、昨日からホワイト・ハウスのスローガンに従って『限りない正義(infinite
justice)』*[6]と呼ばれているものが何であるべきかに関する私の解釈である。自らの過失、自らの政策の誤りについて、自己を免責しないこと――ありえないほど割に合わない形でその恐ろしい代価を払っている瞬間であっても。」デリダらしい慎重な言い回しではあるものの、彼の立場――とくに一方的な報復戦争への批判は明確に見て取れるだろう。 |
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(6)文学の問題。それにはさらに音楽や美術の問題も加わるだろう。 |
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(7)動物への興味。アドルノは、幼年期への、そして動物への関心を捨てることがなかった。それに共感するデリダは、アドルノの「批判的エコロジー」にならって「脱構築的エコロジー」を構想する。「動物は観念論体系にとって潜在的に、ユダヤ人がファシズム体系にとって演ずるのと同じ役割を果している」というアドルノの言葉をデリダが引用しているところを見れば、こうした関心の源泉のひとつが分かるだろう。とはいえ、彼らは、ファシズムの動物愛護の背後に隠されたイデオロギーへの警戒も怠ってはいない。 |
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もちろん、このような大著――アドルノとデリダに至る錯綜した関係の歴史を実際に書くことは、いかに多作なデリダといえども不可能だろう。だが、ある意味で、それはすでに書かれているのだ、とデリダは言う。それはさらに、入り組んだ知の網の目の中で、文字通りのウェッブの中で、きりもなく書き継がれてゆくだろう。しかし、それについてメタ歴史的な立場から証言を述べることはできない。デリダはそのことを指摘し、「証言者のために証言する者はだれもいない」というパウル・ツェランの詩句を引いて講演を結ぶのである。 |
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フランスを代表する哲学者が、ドイツを代表する賞を受ける。デリダはその儀式を演じきり、くどいほどに外交辞令を連ねてみせる。そこに、ドイツとフランスの論争を通じた相互理解というヨーロッパ中心主義的なバイアスを見て取ることさえ不可能ではないだろう。だが、そうした儀式を演じながらも、このアルジェリア生まれのユダヤ人がつねにその外部に視線を向けていることは、9月11日の事件に関する言及を見ても明らかである。また、自ら「テレプログラム」と呼ぶ圧縮されたプレゼンテ−ションの中からも、デリダの思考の大きなフレームワークや個々の論点に関するヒントをつかむことができる。その意味で、これは記念講演という儀式の枠を超えたきわめて興味深いテクストと言うことができるだろう。 |
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実際、この記念講演は、あえて哲学者らしからぬ語り口で始められる。少なくとも啓蒙以降の哲学者は、夢から覚めること、夢についても真率かつ責任ある仕方で語ることを要求してきた。他方、詩人は、時として目覚めることなく夢を語る権利を主張するだろう。そして、デリダは、その両極の間で揺れ動いたアドルノ、「夢、言語[しばしば方言を含む母語]、無意識、そしてまた、動物、子ども、ユダヤ人、外国人、女性」といった「無力なもの」を暴力――哲学的な、そしてさらに資本主義的な暴力も含む――から擁護しようとしたアドルノを尊敬し愛するのだと言い、「私は夢見る、私は夢遊病者となって歩く」と言明しながら講演を続けていくのである。現に、あの七章からなるはずの大著も、夢の本として構想されていたのだった。 |
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さらに言えば、この夢というモチーフは、デリダが最初に引用している、ベンヤミンが1939年にフランスの収容所からアドルノ夫人グレーテルに宛てて書いた手紙*[7]に由来する。この手紙には、ベンヤミンがフランス語で見た夢が語られており、fichuというフランス語の両義性(「ネッカチーフ」/「ダメな」)が鍵になっていることもあって、それを伝えるこの手紙自体フランス語で書かれているのだ。それとの暗黙の対比のうちに、アドルノによるドイツ語の特権化が問題にされるあたり、デリダの手つきはいつもながら鮮やかと言うほかない。(もちろん、アドルノとドイツ語の関係も単純なものではない。アドルノは一方で「ドイツ語は哲学に対して特別な親和性を示す」と言うのだが、他方でハイデガーの「本来性の隠語」に見られる集合的ナルシシズムを厳しく批判してもいるのだ。) |
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このように、デリダは自分とアドルノとの関係を、何重ものフレームに入れられた夢の本として提示しているのだった。そのことを確認した上で繰り返せば、そこには、現時点におけるデリダの思考に含まれているいくつかのヴェクトルを、思いのほか明快な形で見て取ることができる。注目すべき講演と言っていいだろう。それにしても、授賞式に列席したフランクフルト市長をはじめとするお歴々は、予定の時間を超過したに違いないこの複雑な講演を、いったいどう聴いたのだろうか。 |
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