Critical Space Archive

ファジル・サイの「春の祭典」
 トルコの若手ピアニスト、ファジル・サイは、ストラヴィンスキーのあまりに有名なオーケストラ曲「春の祭典」の4手のピアノのためのヴァージョンを、ひとりで多重録音によってCD化し、センセーションを巻き起こした。部分的には3つ以上のトラックを重ね、またプリペアード・ピアノを使って打楽器や弦楽器のような音色を出しながら、あのゴージャスなオーケストレーションを剥ぎ取ったところに現れる裸の構造を、しかし、たんなる設計図の域を超えた多彩な音楽として浮き彫りにしてみせる。もちろんオーケストラ版に取って代わるわけではないものの、オーケストラ版とは独立して楽しめる、きわめてスリリングな音楽だ。ちなみに、海外盤(TELDEC 8573-81041-2)はエンハンストCDになっていて、この曲のほかバッハやガーシュインの演奏風景なども見られる。そのサイが10月に来日したときのインタヴューを12月3日にETVで放送していたのを聞いて、一瞬耳と目を疑った。サイによると、彼は19歳の時にはじめてこの曲を恩師と二人で弾いたのだが、2年後に恩師がAIDSで亡くなってから、もう他の人とは弾かないと決意し、ひとりで多重録音に挑んだという。しかるに、ETVの字幕には「AIDSで」という一句が抜け落ちていた。ケアレス・ミスであると信じたい――というか、現在のETVのスタッフに、そこまで気を回して問題用語を検閲するだけの能力があるかどうかはあやしい。いずれにせよ、「AIDSで」という一句が抜け落ちたために、彼の言おうとしたことがずいぶん迫力を削がれてしまったのは、疑うべくもない事実なのである。ともあれ、そのような事情を知った上で、私はあらためて「春の祭典」を聴き、鋼鉄のダイナミズムの裏に隠されている若いピアニストのパッションにあらためて思いを馳せだ。繰り返すが、このディスクは傑作である。

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