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これは戦争ではない/浅田彰
 シュトックハウゼンが9月17日の記者会見で前週のニューヨークでのテロを「宇宙全体で想像しうる最大の芸術作品」と呼んで非難を浴び、ハンブルグでの一連のコンサートが中止になるという事件があった。一度のコンサートのために十年もかけて狂ったように練習を重ね、そして死ぬなどということは、音楽の世界では夢にも期待できない、というのである。シュトックハウゼンは翌日この発言について謝罪し、自分はそれがルシファーの作品=所業だと言ったのだ、と苦しい釈明を行なった。しかし、かつてはブーレーズやノーノと共に戦後の前衛音楽をリードしたこのドイツの作曲家は、実はそういう発言につながりかねない過激なロマン主義をもともと内に秘めていたのではなかったか。彼は、ずいぶん前から、ヴァーグナーの《ニーベルングの指輪》(上演に四夜を要する)をさらに超える大オペラ《光》(七夜を要する)の制作に没頭しており、そのオカルティックな誇大妄想はすでにかつてのファンをも辟易させていた。それでも残った崇拝者、そしてとくに演奏者に、彼は絶対的な献身を要求し、そのグループはあたかもセクトのような様相を呈していた。そこには、ナチズムの狂気(ヒトラーが戦争末期に《指輪》の終幕である「神々の黄昏」を何度も上演させたことはよく知られている)や、テロリズムの狂気にも通ずるものが、いささか滑稽なパロディとしてではあれ、確かにあったのだと思う。芸術的な評価は措くとしても、肥大化した自己幻想とアポカリプス幻想の結合(自己が世界を呑み込んで崩壊してゆく)を伴うそうした過激なロマン主義ほど幼稚で危険なものはない。それに対しては(コッポラの「APOCALYPSE NOW」のディレクターズ・カットの公開が近々予定されていることでもあり)デリダのように「NO APOCALYPSE NOT NOW」と呟いておくことにしようか。いや、そのような否定形さえ、アポカリプティックな切迫感をネガとして浮き彫りにしかねないところがある。ここは、パイプの絵の下に平然と「これはパイプではない」と書いてみせたマグリットにならって、炎上する世界貿易センターの写真の下に「これは戦争ではない」と書いておくことにしよう。実際、それはたんなるアイロニーではない。いたずらに戦争熱を煽るアメリカに対し、『ル・モンド』9月18日号でフランスのある専門家が言ったように、「これは戦争ではなく、古典的なテロリズムの最終段階なのだ」から(新しいテロリズムは、むしろ、化学兵器、生物兵器、そしてコンピュータ・ウイルスのような情報兵器を駆使したものとなるだろう)。いま何よりも必要なのは、熱に浮かされることなく状況を見つめる、どこまでもクールな視線なのだ。
(これは i-mode の「アーティスト・チャンネル The END」の「i-critique」に発表されたコラムだが、号外のようなものなので、ここでも公開することにした。)

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▼ ニューヨーク通信/坂本龍一(2001/09/12)
 ▼ Re: トム・クランシーの世界?/浅田彰(2001/09/12)
 ▼ Re: 世界貿易センターへのレクイエム/浅田彰(2001/09/12)
 ▲ Re: これは戦争ではない/浅田彰(2001/09/25)

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