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世界がトム・クランシーの小説のようになっていくのではないか。私が田中康夫との連続対談(『新・憂国呆談――神戸から長野へ』小学館)でたびたび口にしていた予感だ。そのとき考えていたのとはちょっと違う意味においてだが、その予感が現実のものとなってしまった。『日米開戦』(新潮文庫)で、日本はアメリカに敗北するものの、最後、日本航空の機長が、兄と息子の敵討ちのため、ジャンボジェット(ただし旅客は乗っていない)ごとアメリカ議会に突っ込み、大統領を含む要人たちの多くを殺してしまう。そのため、そこで副大統領就任式に臨むことになっていた連作の主人公ジャック・ライアンが図らずも大統領になってしまうのである。他方、9月11日にハイジャックされた旅客機のカミカゼ突撃を受けたのは、ニューヨークの世界貿易センタービルであり、ワシントンのペンタゴンであった。同時に複数の旅客機(ジャンボではないとはいえ)をハイジャックして旅客もろともカミカゼ攻撃を敢行するというのは、トム・クランシーさえ想像できなかった「神業」と言うべきだろう。だが、彼の小説は、そうした外からの攻撃に対する多くのアメリカ人の感情的な反応を正直に表現してはいる。実際、大統領になったライアンは、次作『合衆国崩壊』(新潮文庫)で、今度はイスラム原理主義を中心とする勢力と戦ったあげく(そこでアメリカは特に生物兵器の攻撃に苦しむことになる)、イスラムの指導者を自宅の爆撃によって殺害し、そのリアルタイムの映像をTV演説の中に織り込みさえするのだ。もちろん、そんなことは現実には不可能だろう。しかし、アメリカをバックにしたイスラエルが最近パレスチナでやってきたのは、それに近いことだったのではないか。パレスチナの政治指導者を暗殺する――しかもオフィスをミサイル攻撃するといったダイレクトな形で。そのような蛮行が暴力の応酬の引き金を引いたとしても何の不思議もない。もちろん、いまのところ、アメリカでの同時多発テロを、パレスチナ問題、あるいはイスラム原理主義勢力と結びつける証拠はなく、拙速な議論は避けるべきだろう。しかし、暴力と暴力の応酬がとめどないエスカレーションにつながるということだけは、誰の目にも明らかだ。問題は、それを避けることがきわめて難しそうに見えるということなのだが……。 |
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(これは i-mode の「アーティスト・チャンネル The END」の「i-critique」に発表されたコラムだが、号外のようなものなので、ここでも公開することにした。) |
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▼ ニューヨーク通信/坂本龍一(2001/09/12)
▲ Re: トム・クランシーの世界?/浅田彰(2001/09/12)
▼ Re: 世界貿易センターへのレクイエム/浅田彰(2001/09/12)
▼ Re: これは戦争ではない/浅田彰(2001/09/25)
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