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世界貿易センターへのレクイエム/浅田彰
 1970/72年に建ったミノル・ヤマサキ設計の世界貿易センター(WTC)は、ニューヨークを代表するランドマークであるだけでなく、いろいろな意味で象徴的なビルディングだった。まず、それは、無駄な要素をできるだけ排除して簡潔なデザインを目指すというモダニズムの原理の教科書的な応用例と言えるだろう。近くで見るとディテールに甘いところもあるとはいえ、離れて見るとファサードも窓もなしにメタリックな直方体が屹立して見えるところがなかなかの迫力だった。さらに、このモダニズム建築に、現実原則からシミュレーション原則への転換という意味でのポストモダニズムを見てとったのが、『象徴交換と死』(1976年)のジャン・ボードリヤールである。それぞれに個性をもつ古い摩天楼が、経済的な競争の中で他者と競い合い自己を乗り越えてゆく努力の象徴だとすれば、WTCの二つのタワーは、互いのモデルかつコピーであり、地上の現実とは隔絶した次元で相互に反映し合っているばかりだ、というのである。「WTCの二つのタワーは、正方形の土台の上に立つ高さ400mの完全な直方体であり、完璧にバランスのとれた、窓のない通底器である。このような二つのまったく同一の建築が向かい合って存在するという事実は、一切の競争の終わり、オリジナルなものへの一切の準拠の終わりを意味する。[…]記号が純粋であるためには、それ自体の内部で二重化がおこなわれる必要がある。この記号の二重化が、記号の指示するものの存在に真に終止符を打つのだ。[…]他の摩天楼のそれぞれが、つねに恐慌と挑戦の中で自己を乗り越えてきたシステムの各々の時期を表わしているのに対し、WTCの二つのタワーは、二重化の眩暈の中でひとつのシステムが閉ざされたことの明らかなしるしなのである。」そう、WTCはボードリヤールにとってシミュレーションの時代の到来を告げるハイパーリアルな(反)モニュメントだったのだ。そのWTCの二つのタワーが、ハイジャックされた旅客機に相次いで突っ込まれ、あっけなく崩壊する。まだモース/バタイユ的な贈与――わけても死の贈与にシステムの壊乱の可能性を見ていたかに見える『象徴交換と死』のボードリヤールなら、このカミカゼ攻撃にそうした「無用の否定性」のラディカリズムを見ただろうか。あるいは、それ以後そのような否定性に賭けることもやめ、湾岸戦争の際も『湾岸戦争は起こらなかった』(1991年)という本を書いてのけた現在のボードリヤールなら、今回のテロさえも専らメディア効果を狙ったシミュレーション時代のハイパーリアルなノン‐イヴェントに過ぎないと強弁してみせるだろうか。しかし、湾岸戦争の汚い現実をほとんど直視せずにすんだアメリカ人も、今回はまさしくそのような現実を目の前に突きつけられることになった。たしかに白昼夢のごとくハイパーリアルな事件の映像がTVで何度となく反復されているにせよ、その裏側にある現実から目をそらすことはさすがにもうできないのだ。湾岸戦争に関するボードリヤールの発言を聞いたエドワード・サイードは「昔懐かしいボードリヤール!」と嘆息している(最新のインタヴュー集 Power, Politics, and Culture, Pantheon Books の232頁を見よ。「それならボードリヤールは湾岸に送られるべきだと思いますね。歯ブラシと、エヴィアンか何かの飲みものをもって」)。WTCが崩落する映像を見て、私も思わず同じ言葉を呟いていた。クールな輝きを放ちながら聳え立っていた二つのタワーの残像は、それ自体、現実原則を忘れてシミュレーションのゲームに熱中することのできたある一時代――実はそもそも幻影にすぎなかった一時代への、もはや存在しない墓碑と言えるのかもしれない。
(これは i-mode の「アーティスト・チャンネル The END」の「i-critique」に発表されたコラムだが、号外のようなものなので、ここでも公開することにした。)

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▼ ニューヨーク通信/坂本龍一(2001/09/12)
 ▼ Re: トム・クランシーの世界?/浅田彰(2001/09/12)
 ▲ Re: 世界貿易センターへのレクイエム/浅田彰(2001/09/12)
 ▼ Re: これは戦争ではない/浅田彰(2001/09/25)

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