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ベルリンの壁崩壊からちょうど11月9日で十年となり、ブランデンブルク門にかつてのドイツ、アメリカ、ソ連の首脳を招いて記念式典が催されたことは日本でも知られているだろう。ドイツとヨーロッパの分断を物質的に体現していたベルリンの壁が単なる通行の障害物以上のものではなくなった一日の出来事は、あの年の東欧の激動の中でもひときわ象徴的だった。そのことは、東欧の旧共産主義国家の崩壊と「東西冷戦」と呼ばれる世界大戦の戦後体制の終焉が、「壁の崩壊」という一語で通称されることに端的に示されている。「壁の崩壊」後の世界システムの総体の転換は、ドイツ統合、旧ユーゴでの内戦、EU通貨統合と、ヨーロッパに最も直接的な影響を及ぼした。新しい国家が生まれ、地図が塗り替えられ、ブルジョワ民主主義からプロレタリア独裁への体制の移行が政治的選択として決定的に姿を消し、新しい政治的状況に合わせて流通する政治的言説もその意味を変えた。 |
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その政治的言説の変動は、ベルリンの式典に先立ってパリで開催された「社会主義インターナショナル(IS)」にもはっきりと確認される。世界の170の社会民主主義政党からの代表を集めて開催されたこの総会には、パレスティナのアラファト議長、イスラエルのバラク首相を含め十一か国の政府首脳が含まれていた。ヨーロッパからも、英独仏伊などの首相が参加している。周知のように、加盟十五か国のうち十一か国が社民政党の首相を持っているEUだが、その「社会民主主義」の内実については必ずしも一致していない。実際、今回のISの最大の焦点は、「企業の精神」をキーワードにする英ブレアー、独シュレーダー両首相と、英独の市場原理の優先に対して「政治の優位」と「資本主義に対する批判的関係」を説く仏ジョスパン首相との間の路線の対立にあった。 |
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ブレアー=シュレーダーは、旧来の野蛮な経済的リベラリズムvs. 面倒見のいい福祉国家のいずれにも属さない「第三の道」を提唱し、もはや社会主義、社会民主主義という言葉自体を用いずに、「中道左派」あるいは「社会的リベラリズム」を自称する。彼らの選択は経済的には、EUの市場統合にうまく対応して、市場からの落ちこぼれをすくい上げるために最低限の配慮はしながら、できるだけ大きなパイを頂こう、という発想と言える。両国とも競争力を持った大きな私企業を有しているという条件がその背後には控えているだろう。一方ジョスパンは、国家を防壁として市場の拡大のもたらす失業や貧富の差の増大を押し止めるべく福祉国家の路線を堅持しようとする。これは伝統的な社会民主主義を踏襲するものだ。その選択は、あらゆる市民の政治参加を理念とする共和主義を基盤として、強固な労働運動の伝統を持ち、世界一の福祉予算の額を誇る強力な国家の存在するフランスにして初めて可能になる。 |
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現に存在する失業や貧困の問題に対処するために福祉国家の制度を活用しよう、という選択はフランスにとって現実的なものだし、またフランス自体、EUの市場統合の大きな路線の上で動いているわけだから、英独との間の相違は、実践的にはほとんどニュアンスの違いに還元されるかもしれない。しかし、注意しておきたいのは、ジョスパン流の社会民主主義の背後にはフランスの強固なナショナリズムが控えていることだ。ソ連と同時にアメリカに対して対立することでフランスの独自性を強調したドゴール以来、フランスではアンチ・アメリカニズムが極めて根強いのだが、現在の経済のグローバリゼーションをアメリカ帝国主義の表現と位置づけたうえで、それに対立することによってフランスの自己同一性を設立・強化するというメカニズムはいまもはっきりと機能している。ここに国家主権の擁護の観点からなされるEU統合批判と、さらに共和国、学校、家族といった伝統的な価値への回帰の称揚が重ね合わせられると、「左翼」を自称する知識人から発せられる「国民的共和主義」のイデオロギーが出現する。この体系においては、犯罪、失業、貧困、といった社会問題は外部から来た悪に起因するものとされ、良きフランスの内部を再建することが課題となる。市場開放を第一義に置くリベラリズムに抵抗するナショナリズムの政治的善用…?だが、かつてのドゴールの「第三の道」にはまだ存在しえたインターナショナルな開けがここでは完全に失われていること、そして世界市場からの孤立を積極的に選択することによってフランス中心主義は強固に生き延び続けていることは疑いえない。現在のフランスの政治的選択の是非はおくとしても、この選択がフランスをユーラシア大陸の果ての小さな一地方という、言わばあるべきポジションに回帰させつつあるのは確かなことだろう。 |
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