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 これは緊急の「声」に対する緊急の応答であり、またそれ自身緊急の「声」でもある。
 ジャン=リュック・ナンシー「欠けていた声、それこそが声を挙げねばならない」(藤田尚志氏訳)およびエティエンヌ・バリバール「三回の投票を巡る考察」(拙訳)は、時間的切迫の内に書かれた文章であり、バリバールのテクストに至っては、いまだ公刊されていない、おそらくフランス語では公開されることのないテクストである*[1]。大統領選挙終了後の現時点でこれらのテクストが日本語に翻訳されるということは、執筆者たちにとっても意外なことだったのではないだろうか。今後、事後的な分析が発表されるだろうが、それに比して、ここに翻訳された二つのテクストは、第一回投票と第二回投票のあいだの熱狂的な二週間に知識人たちが表明した「ホットな〔緊急の〕」反応の徴候を示すものにすぎないかもしれない。早急な判断は差し控えておきたいが、二回の投票のあいだに展開した大規模なデモ・集会等の波状効果は、良くも悪しくも、第一回投票で露呈した政治的な欠如(それは「左翼」自身が作り出した政治的なものの沈下であり、「欠けていた声」である)を埋め合わせるのに十分だった。いずれにせよ、このような波状効果のリズムのなかで表明された二つのテクストを併置することで、両者の持つ緊急アピールとしての射程と、一過的なものに留まらない思考の強度が、ともに浮かび上がることが期待される。
 ところで訳者がバリバールの「考察」を翻訳すべきと判断した理由は、何よりもその個別的な指摘が、ナンシーの声明文のみからは読み取りづらい今回の事態の具体相を垣間見させてくれると考えたからである。たしかにナンシーの声明文に見られるような「政治の声」の喚起――「声」「調子」「響き」「訛り」「叫び」――と、それを裏打ちする政治的〈信〉へのパフォーマティヴな訴え掛けは、バリバールの考察には見出されない。むしろそこにあるのは「左翼」の「自己批判」であり、この批判は自らが第一回投票の棄権者であるとさえ告白している。しかし、そこから紡ぎ出された実践的考察は、そっけないまでに飛躍を排した調子で、「左翼」が6月に行われる国民議会選挙において何を訴え、いかにして支持を獲得しうるかを自問している。それは左翼リーダーの引退のタイミングを問題にするとともに、「2ヶ月」という期間での思考を促しているのである。異なったリズムを伴いながら、バリバールの考察もまた、ナンシーのテクストが要請する「“政治”を新たに思考することの緊急性」とは別の意味で(しかし全く別の意味という訳ではない)、一つの緊急性へと訴えかけている。それは、ヨーロッパ規模で展開する極右の波及効果の「迅速」さに対抗するための、緊急性であるだろう*[2]。そもそも「ヨーロッパ」統合が諸々の不安定性を生み出し(ここには大統領選挙第一回投票の争点となった「治安悪化」の問題も含まれる)、その統合自体がグローバリゼーションの生み出す諸々の不安定性への反動でもあるというメカニズムによって、今度は、「主権主義派」と呼ばれる潮流が左右を問わず一定の勢力を保つこととなり、それが極右の得票源にもなった。着実に進行するこのプロセスを、バリバールは10年の単位で分析してきた。しかしそれに拍車をかけているのが、昨年の9月11日以降アメリカ合衆国が推進しているセキュリティ強化の世界政策である。この点に関しては、ナンシーならば、このセキュリティとインセキュリティの切迫的連鎖を「憂いcura」と「配慮souci」と「信」の用語で分析するだろう。グローバリゼーションの信用不安に対するハードな形での〈信用〉保証の企てに便乗する形で、ヨーロッパの極右は、「迅速に、きわめて迅速に」、その〈クレド〉を発動させようとしている*[3]
 このように見るとき、緊急のうちに書かれたこれら二つのテクストに対して応答することの実践的な意義も明らかになる。二つの翻訳は、現在日本において迅速に進行しているプロセス(しかしもう随分前から、「周辺事態法」より遥か以前から進行していたプロセス)に抵抗する、二つのリズムを提供するだろう。セキュリティ強化を口実とした法整備が逆にセキュリティを不安定化させるという一連の(グローバルかつローカルな)動きに対し、緊急の声を発しなければならない。世界唯一の超大国とその随伴者たちが実施する無際限なセキュリティ・チェックによって、ありうべき政治的〈信〉の場が掘り崩され続けている。それを緊急に〈批判〉することが必要である。しかしそれと同時に、執拗な考察が展開されることも必要である。この二つの必要性、緊急であることと執拗であることの二つの必要性に、ナンシーとバリバールのテクストは、それぞれの仕方で声を与えてくれているように思われる。そしてまた彼らが共有する政治への根本的な〈信〉と批判を導きの糸としながら、政治的なものの概念を新たに創出する試みが開始されねばならないだろう。新たな〈用語〉と〈手段〉と、何よりも〈希望〉が――一回的に、そして継続的に――生み出されなければならない。

※ このテクストには以下レスポンスが付いています。
 ▼ 欠けていた声、それこそが声をあげねばならない
                  /ジャン=リュック・ナンシー(2002/05/11)
 ▼ 欠けていた声、それこそが声をあげねばならない・解題/藤田尚志(2002/05/11)
 ▼ 三回の投票を巡る考察/エティエンヌ・バリバール(2002/05/25)
 △ 緊急の声、緊急の応答/西山達也(2002/05/27)

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